東北大学公共政策大学院Newsletter Vol.10
(2004年8月10日配信)

去る2004年7月14−18日、札幌・仙台・東京・京都・大阪において、2005年4月入学志願者向けの説明会を開催しました。この際の主な質疑応答の内容を、ホームページの以下のURLに掲載しましたのでご覧下さい。
http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/admission/index_qa2005.html

今回の教員エッセイは、南基正教授の「サイバースペースで生きる術」をお送りします。

サイバースペースで生きる術

南基正教授より

地球規模となりつつあるサイバースペースは、いくつかの面で伝統的な物理空間と異なる。まず大きな違いは、単一方向性と複合双方向性の違いである。物理空間においてはいかなる存在も往復の運動を同時にすることはできず、空間の移動は時間の一方向性に拘束される。ただ時間の短縮が可能なだけである。しかし、サイバースペースにおいては、その存在そのものが集団想像―サイバースペースという用語を誕生させたウィリアム・ギブソン流にいえば「共感覚的幻想(consensual hallucination)」―によるものなので、時空の縮約を越えた両者間の分離複合化が起こりうる。それは、過現来の同時進行や逆順展開などが可能になることを意味する。すでに、個別国家の領土中心の近代地球空間は変化の最中にあり、個人・地方・国家・地域・地球空間の複合化による新しい空間秩序が生まれようとしている。

近代地球空間において絶大なパワーを有することになった米国がサイバースペースにおいてもその独占的地位を維持しようとする努力の一環がいわゆる「軍事革新(RMA,Revolution in Military Affairs)」論争の展開である。反対に、前近代の空間観念にこだわり、そのため新しくアジアに拡大しつつあった近代空間への適応に失敗した韓国が、その繰り返しを避けようという国民的共感のもとに、ブロードバンド大国・サイバー大国を目指して、こうした流れに積極的に乗ろうとしているのも、サイバースペースへの適応の努力であり、同時にサイバースペース拡大の指標でもある。

一方、アジアに拡大しつつあった近代空間を自ら積極的に呼び寄せ、その近代的空間秩序が支配した20世紀の前半を軍事力で制覇し、それが失敗した後の後半を経済力で主導した日本は、近代空間への未練を捨てきれずにいるように見える。この点が特に韓国との対比をなすところであるように思われる。最近、日韓を往来する人々の間で、両国におけるインターネット環境の違いを指摘する声をよく耳にする。私自身、久しぶりに韓国に行くと、映画『マトリックス』の世界に迷い込んだような目眩がする。しばらくしてそれに順応した脳のまま日本に来ると、今度は、のんびりした田舎の時間が流れているように感じる。

もちろん、インターネットの全国民的普及はいいことばかりではない。正の側面が大きければ大きいほど負の側面もそれにしたがい大きくなるし、韓国も「ブロードバンド先進国」がゆえに直面せざるを得ない深刻な問題を抱え始めている。しかし、少なくとも、グローバルな規模で出現しつつあるサイバースペースのなかで、自国の領域を全く持てないような悲劇は回避できたように見える。もちろん、日本がそのような悲劇に見舞われるようなことはありえそうにない。しかし兎も角、個人としても、または国家としても、近代空間と未来空間が複合化しながら創出されようとする新しい空間でのサバイバルのためには、サイバースペースでの上手な切り盛りが重要な「生きる術」になってしまったようだ。ましてや、それがどのようなレベルの共同体であれ、ひとつの政治的共同体の未来を決する政策決定に参画することを夢見る人間は、このデジタル情報大海での波乗り技法を習得することが何よりも重要なことであろう。

<編集後記>

4月に開学した本大学院も、夏休みに入って小休止といったところです。試行錯誤はありますが、新しい教育の場としての手ごたえを感じています。「医学部から法学部に移って、法医学を教えているのですか?」と尋ねられるのは相変わらずですが、法医学と健康政策の違いを説明するのは、ますます手際良くなってきました。健康をめぐる科学と政策の相互作用について、より良い見晴らしが得られるよう、研究室で蝉の声を聞きながら勉強しています。本号のニュースレターの編集は、田口左信助教授に代わり、坪野が担当いたしました。
(文責:坪野吉孝)

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