東北大学公共政策大学院Newsletter Vol.42
(2010年3月8日配信)

■東北大学公共政策大学院での学生の文章作成能力を向上させる新しい試み

公共政策の調査・提言において、文章作成能力の向上はきわめて重要です。一般に、大学院教育では、演習でのレポートの作成、修士論文の作成を通じて、こうした能力の向上を図っていますが、なかなか一朝一夕に成果は出ません。というのも、学生が文章を日常的に作成することと、それを適切に指導・添削してくれる機会があることが必須だからです。

東北大学公共政策大学院でも、これまで公共政策ワークショップⅠや、一般の授業でのレポート作成を通じて、学生の文章作成能力を向上させるよう努めてきました。しかし、カリキュラムの中でより体系的に文章作成のトレーニングをすることはできないか、この一年ほど検討してきました。

その結果、現在次のようなカリキュラムを実施することとしています。

①合格者の入学前のレポート作成課題
本年度から、合格者に入試の小論文試験を再度自分で文献に当たってレポートを作成する課題を出しました。2月末に全学生からレポートが提出されました。読んでみますと学生一人一人が自分なりの努力の成果を出しているようです。新学期冒頭に、これをもとに出題した教員たちが講評を行います。

②公共法政策通論でのレポートの作成
学生が主として1年次に履修する授業「公共法政策通論」は、外部の実務家によるオムニバス授業ですが、2010年度から前期・後期に少なくとも、講義内容についてのレポートを1つ作成する課題を課します。これを通じて政策的思考を涵養するとともに、教員による講評の授業を設けることで、学生の文章作成能力の向上を図ります。

③公共政策ワークショップⅡでのリサーチ・ペーパー作成
上記①②でのトレーニングを経て、従来通り2年次では修士論文に該当するリサーチ・ペーパーの作成に臨みます。

こうして入学前から文章作成のトレーニングを行うことで、可能な限り円滑に2年次のリサーチ・ペーパー作成に入ることができるのではないかと私たちは考えています。4月の学生の入学が今から楽しみです。

■教員エッセイ

今回は、このたび本大学院に外務省から着任した橋本逸男教授のエッセイと、公正取引委員会から着任した諏訪園貞明教授のエッセイをお届けします。

□バンクーバー・オリンピックに外交を想う――随想

橋本逸男 (実務家教員・外務省から出向)

2009年度後期から、実務出身の教員として外交論の授業を担当しているが、仙台に来るに際し、少し(だけ)不純な動機もあった。東北大学の優秀な学生を、外交の仕事に勧誘したいとの思いである。東北大学は名門であり、仙台、宮城は我が国の雄都、雄県であるが、私の経験に限れば、外交の現場で、本学、本県出身の方に出逢った記憶は余り無い。支倉常長の事績があり、小田滋先生のような方もおいでなのに、と考え(如何にも単純ではあるが)、それなら少し外交(外務省ではなく)のPRをして、“外交のすすめ”でもさせて頂こう、と独り決めして来たのである。

そこで授業では、実務(外務省)時代の自身の体験やエピソードを交え、学生諸君が外交や対外関係への関心を強めてくれるよう心掛けた。一学期の成果は未だ詳らかにしないが、学生諸君の評に、現場感覚を交えた話が聞けて面白かった、社会の多くの事象が外交に関連することが分かった等の声があって、嬉しく感じた。

授業の冒頭、外交が一国の存亡にも関わる大事であることを述べ、特に、日本国憲法の下では、それが拠って立つ平和主義に照らせば、我が国が平和裏に生存を確保するには(平和的手段による)外交が極めて重要であること、また、内外の人々に惨禍をもたらした戦争とそれに至る経緯に深く思いを致し、民主主義体制下で、主権者たる国民が外交に主体的関心を持って関わり、政府による外交を注視し、監督してゆくことが不可欠であること等を述べた。私は、これが日本外交の戦後の出発点であると考えている(私自身も、そうした心持で外交の仕事を志した)。また、外交を敢えて広義で捉え、今日では、様々な形で「外交」に関わる努力が行われ得ることも説いた。所謂「ウェストファリア体制」の変容、グローバリズムの進行と一方での世界の多様化等により、「外交」の主体は多義化し、その範囲、分野も拡大・多様化している。一国(我が国)の外交ないし対外関係に於て、(外務省を中心とする)政府のみならず、地方自治体やNGO等の諸団体延いては個々人に至る様々な「主体」も幅広い活動を行っており、一国の「外交」ないし対外関係としては、そうした様々な努力の総体を考える必要があろう。

さて、オリンピックと外交の話である。

クーベルタンがオリンピックを再興した時分には、“参加することに意義がある”とされた由で、オリンピックも随分伸びやかなものであったろうが、やがてそれは、スポーツの祭典、スポーツ精神発揚の場たるに止まらず、国威発揚の場ともなり、オリンピックの開催自体が、一国の威信をかけた大事業となるに至った。オリンピック憲章上、大会開催の栄誉は都市(“国”ではなく)に与えられる、とされるが、国を挙げた努力で、オリンピックを盛大に挙行し、成功を収めれば、それは「外交」的、政治的にも大きな成果となる訳である。従って、オリンピックの開催は一大外交事業とも言え、その“外交”努力は、開催に先立つこと数年の、招致活動の時点から始まる。そして、オリンピックを繞る“外交”でも、一国の総体としての努力がものをいう。

私に、一つ苦い思い出がある。幻の“名古屋オリンピック”である。御記憶の方もあろうが、ソウルがオリンピック招致に名乗りを上げた時、名古屋も招致活動を展開し、相当善戦していた。“勝利”を楽観視する向きもあった。しかし、IOC(国際オリンピック委員会)での投票結果は、僅差でソウル。当時私は担当課の首席事務官(筆頭課長補佐)で、テレビ中継を見ており、誠に悔しく、残念に思った。メディア等には、政府の支援が不十分であったかの如き論まであったが、外務省も、スポーツを所管する文部省(当時)も、政府全体としても随分努力したと思う。“敗因”は、韓国側の“分断された国家、韓国の首都ソウルで、(“北”も招き)平和の祭典オリンピックを!”との訴えが、なりふり構わぬ程の働きかけとも報じられた如き、国を挙げての努力に支えられて、強くアピールしたことにあった。瀬戸際で、一定数のIOC委員をソウル支持に翻意させ、逆転招致に成功したと言われた。その“裏話”が紙面を賑わしたりもしたが、今想えば、韓国側は、ここを先途と必死で頑張ったのであろう、正に上記の如く、政・官・経済界の指導層から大韓航空の如き個々の企業まで、様々な「主体」が招致への“外交”努力を懸命に行い、それが総体として功を奏した訳である。他方日本側は、愛知県や名古屋市そして東海地方の経済界等の努力は非常に大きかったが、地元の一部を含め国内には開催に懐疑的な声もある等、全国民の支持と国を挙げた招致努力という点では、韓国程の総体的努力を為し得たかどうか……。

“政争は水際でとどまる”とも言われるが、国論の一致、国全体の総体的な努力と支持がなければ、オリンピック“外交”を含めて、強力な外交を展開することは容易でない。(先般の東京へのオリンピック招致活動では、当初都民、国民の支持に盛り上がりを欠いたものの、次第に総体的な努力も強化され、充実した招致“外交”が展開されたと感ずる。外務省も、各国駐在の大使等から任国政府やオリンピック関係者への働きかけを含め、様々な努力を行った。結果は残念であったが、私自身は、名古屋の経験を肝に銘じ、出来ることはした、との思いがある。尤も、思いは残り、招致活動で東京のPR用に付けていたバッジは、まだ上着の襟に付いている。)

現在(2月21日)、バンクーバー・オリンピックが酣である。メディアの楽観的な予想に反し、多くの日本選手が“敗退”し、しかも半ば満足げに微笑んで会場を去る姿を、釈然とせず見ていた。世界のレベルと明らかに差があり、“負ける”種目に、何故かくも沢山参加するのか、“負け”て何故これ程あっさりしているのか。しかし、ふと、そこに日本の外交のあり方や日本(人)のイメージといったものを思った。殆ど全分野にわたる沢山の種目に、多くの選手が参加する様子は、“大国”として、殆ど全ての国との、また、あらゆる分野での外交を全面的に展開するの日本の外交を想起させた。(スポーツ“大国”たる)日本には、国内的な考慮や、選手たちへの配慮に加え、国際的にも、オリンピック運動を支える大国としての矜持や義務感等が存在するのであろう。種目を限って、選手等のエネルギーと資金を集中して“闘え”ば、メダル数等は却って増えるかも知れないにしても、である。そうした“優等生”的な姿勢とそれに由来する苦労は、外交の分野にも通底する面がありはしないか……。

日本の外務省は、主要国の外務省と比較して、担当分野が最も広い部類に属する。どの国の外務省でも担当する、基幹的な(或いは最狭義の)外交業務(各国の政治経済分析、二国関係、国連等国際機関、条約等の国際取極、儀典、暗号通信等)の他、経済協力と文化交流(共に、国によっては独立の省庁・機関が担当)を主務的に担当し、安全保障や国際経済(同前)に相当関わり、旅券を全種類(国により、一般旅券は内務省や警察が主管)発行し、邦人保護(最小限を行うのみの国もあるが、日本は随分注力している)を行い、(海外での)情報収集に主務的に当たる、という外務省は、主要国の中では例を見ない。これだけ広い分野で、上記の如く多くの国、国際機関との外交事務を行う訳である。更に、外務省は、主要国の外交機関の中で最も人員が少ない(イタリアを除く)のである。身びいきなしに、日本の外務省は良く精励を尽くしていると思う。知人の元某省幹部は、外務省に入った娘さんが毎日夜中まで働くのに驚いて、“外務省がこれほど忙しいとは”と半ば呆れていた。

海外の大使館等では、これらに、日本国政府の代表機関として他の省庁の窓口的な役割を果たすことも加わるので、活動の間口は更に広くなる。我が国との関係が深い地域、例えば私も勤務した東南アジア(ASEAN)等では概して大変である。大使、幹部館員等は、打ち合わせや情報交換のため、任国の政府や各国の大使館と日常的に接触するが、それ以外に、多くのグループ会合にも出席する。会合の数も、私(日本)の場合、他国の大使方より余程多かった。例えば、サミット参加国大使の会合、主要同盟国(日、米、英等)の会合、援助実施国の会合、被援助国を含む援助会議、主要国際機関(国連、世銀、アジア開発銀行等)との会合、ASEAN諸国大使との会合、ASEAN+3(日、中、韓)の大使会合、日・中・韓会合といった具合である。要するに日本は、先進国(主要工業国)、途上国、ASEAN・アジア諸国、日・中・韓等との場を全てカバーする訳である。他にも、“日本”であるが故の二国間の仕事(例えば先方大臣方との協議)は多い。

外務本省、在外公館のこれ程の“全面展開”は、正に日本が“大国”である結果であり、我が国の為に慶賀すべきことであろう。しかし、“大国”として、その義務を果たすべく、それら外交事務を全て、万遍無く、適正にこなそうというのは、随分“優等生”的で、大変に苦心が多いことである。オリンピックにおける日本の立場もそうではないか。“大国”の辛さもあろう。

“負け”てなお微笑する姿は、“昭和世代”には物足りないが、今日の世界では、我執のない、明朗で清々しいイメージで、人に好感される所以かも知れないと思い当たった。BBCが、主要国等約20カ国を選び、他国(民)から好かれる度合いを調査する企画があるが、最新(昨年)の調査では、日本はカナダとほぼ同率の第二位であった。中国と韓国からの評価は例外的に厳しいが、それ以外の国からは高い好感を得ている。平和で民主的な国柄と、人々の明朗かつ温良な姿、その文化などが好ましく映じているのではないか。日本選手の屈託のない様子は、案外ポジティブな日本イメージを広めるのに役立っているのかも知れない。、“好かれる”ことは、外交上も大事である。元来、大国であって、人に好かれることは、容易でない。BBC調査でも、米国の順位は高くない。“大国”日本が、オリンピックにも、愚直なまでに優等生的に関わり、選手も、必要以上に勝ち負けに固執せず、屈託なく明朗に振舞う姿が、バンクーバーに現出することは、金メダル・ラッシュの国とは別な意味で、立派な“オリンピック外交”であるような気もする。(本音の本音を言えば、もう少しメダルを取ってほしいとも思うが……。)

□「薔薇の名前」・「法の精神」・「東北大公共政策大学院」

諏訪園 貞明 (実務家教員・公正取引委員会から出向)

記号学者でもあるウンベルト・エーコ教授による「薔薇の名前」というミステリーが、ちょうど20年前に我が国でも訳出され、大きな話題を呼んだのを御記憶だろうか。随分と前の話なので、若い方には馴染みがないかなと思っていたら、2年ほど前に、いわゆる「このミス」「ベスト・オブ・ベスト」の海外編で「羊たちの沈黙」や「ボーン・コレクター」を押さえて堂々の一位に輝いていたので、既に手にとられた方も少なくないかもしれない。もし、まだ読んでいらっしゃらないようであれば、一読を勧めたい。

同書では、キリスト教神学からギリシア哲学、さらには最近の記号論までも踏まえた記述が随所に織り込まれ、また、コナン・ドイルの「バスカヴィル家の犬」などの名著を下敷きにしていることもあり、その読み方・感想も一通りではないだろう。もっとも、ここに登場する時代背景は、変革激しい現在の経済社会を生きている者にとっても大変興味深い。

本書の物語が展開する14世紀前半、時代は中世の秋を迎え、西欧社会全体が「市場経済」の波に巻き込まれている。それは、北イタリアの農村地帯に所在する、物語の舞台となった修道院のように、本来、世俗と隔絶している世界にとっても無縁ではなくなってきている。むしろ、市場経済の席巻とともに否応なしに進んでいく「所得格差拡大」で生じた宗教不信・異端などの矛盾・つけが修道院に吹きだまり、同時に教皇を頂点とした教会体制内の権力闘争、中東世界からのギリシア・ローマ文明の再流入などに直面して、キリスト教教義についての深刻なアイデンティティー危機ともいうべき状況が現出している。本書はそうした動きを克明に追っている。
ちょうど、それは、本書が公刊された1980年ごろから、市場原理主義・規制改革が世界中を席巻し始め、その後、ベルリンの壁崩壊、ネット社会の到来とこの30年の間に、大きな変革の波が押し寄せた現代の経済社会をも連想させる。御案内のとおり、世界は、また残念ながら我が国でも、「所得格差拡大」をキーワードとして「市場経済」に対する不信が沸々とたぎり、人類の英知ともいうべき自由主義経済体制に対するアンチ・テーゼが台頭してきている。こうした経済社会の現況は、この物語の舞台背景とどうしても二重写しとなるのである。

本書は、ミステリーでもあるので、種明かしは避けるが、古代ギリシアで論じられたある概念を教会の保守派が封じ込めておこうと画策した結果、殺人事件にまで発展し、一応、封じ込めに成功したかのようなあっけない幕切れで物語は終わる。しかし、実際の西欧社会では、結局、過去を封じ込め、世俗社会を支配下に置き続けようとするローマ教会、清貧論争によって所有権も否定しようとした修道院は力を失い、宗教改革・宗教戦争などの何百年もの血みどろの争いを経て、民主主義や、所有権・契約の自由といった市場経済の根本概念などを確立していくわけである。しかし、物語に登場する保守派の長老が、キリスト教のアイデンティティーを揺るがそうとするある概念を何とか封じ込めておこうとする様は、遠く何世紀も経た現代において既得権益を何とか死守しようとする様々な動きとも重なる。決して何百年も前の昔のことではなく、現代でも、中世でも人間は、ずっと同じような思考で動いている動物なのかという印象すら受ける。

翻って我が国の中世から近世にかけての動きを振り返ってみると、同じように中世、室町時代末期に、宗教改革を経てパワーアップしたカソリックの一派イエズス会が、火縄銃などとともに到来し、我が国に変革を迫るのだが、結局、島国であることを奇貨として鎖国に踏み切り、これに一応成功する。また、ここが我が国の面白いところであるが、必ずしも鎖国政策を、悪い面からはとらえていないし、ましてや経済政策的な面からきちんと評価してきた形跡もない。これは和辻哲郎を持ち出すまでもなく、高校の日本史の教科書を御再読願えれば明らかなのだが、せいぜいのところ、経済面では西洋の進んだ文明に遅れたことを悪い面として挙げているに過ぎない。他方、モンテスキューが「法の精神」でこの鎖国政策が経済政策的にいかに愚策であったかを次のように論じていたことについて、果たしてどの程度教えられているだろうか。

「いかなる国民をも重大な理由なしには商業から排除しないことが真の格率である。日本人は二国民、中国人とオランダ人としか商業しない。中国人は砂糖で千パーセント儲け、時には対価として受領した品で同じくらい儲ける。オランダ人もほぼこれと同じくらいの利益をあげる。日本的格率に基づいて行動する国民はいずれも必ず裏切られるだろう。商品に正当な価格を付するものは競争であり、それは商品の間に真実の関係を打ち立てる。

国家は、ある国民が商品のすべてを一定の価格で引き取ってくれるだろうということを理由にして、その国民だけにしか商品を売らないという考えに屈服するようなことはなおさらしてはならない。…このような合意は、…隷属状態にある国民にのみ適している。」(「法の精神」(1748年)モンテスキュー、岩波文庫、野田良之ほか訳、(中)210頁)

これは、二重の意味で問題になる。一つは、御承知のとおり、「法の精神」は、例えば米国では高校生の課題図書などにもなっているようであり、我が国の経済政策上最大の愚行に係る記述が海外では連綿として若い人々に読み継がれている点である。もう一つは、逆に当事国たる我が国の高校では、経済政策的な観点からの鎖国に係る歴史的評価については、ひょっとすると無縁のまま、「モンテスキューは、三権分立」と丸暗記するだけで期末試験が終わるとしたら、という点である。

確かに、「薔薇の名前」の物語から始まる西欧社会の歴史は、混乱と血みどろの争いに満ちた世界であっただろう。他方、我が国は、江戸期の閉鎖的な社会形成の中で、「お手手つないで仲好しこよし」、それに外れると「村八分」の規範がしっかり根を張った。現在でも、本当の意味で「市場」「所有権」「競争」などの概念が根付いたかどうか。「融資返済猶予制度」関連法制が、猶予について努力義務となり、「所有権不可侵」の原則とは微妙な関係で止まったが、短期間で審議・可決成立に至ったのは大変象徴的である。

話は変わるが、この東北大学公共政策大学院は、ある意味で大変ユニークな大学院である。学生の出身大学・学部は、東北大学に限らず、全国の大学から、しかも法学部のみならず、経済学部、理工学部等と多岐にわたる。また、教員も、錚々たる研究実績を積み重ねている研究者教員に加え、官庁出身の実務家教員も加わり、専攻分野も法律・行政・国際政治・経済・医療・情報等の各分野にわたり多様性を十分に確保している。排他主義極まる象牙の塔ともいうべき、「薔薇の名前」に登場する修道院とはいわば対極にある存在ではないだろうか。

こうした場こそ、幾世紀を経てなお残る名著に、「隷属状態の国民に適した経済政策である」などと揶揄されるどころか、逆に「現代世界の主流となる公共政策をリードすることになった」と言われるような政策を基礎から叩き上げていく場となり得るのではないか、と密かに期待するものである。

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