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環境法概論等オンライン講義での教員メッセージ

 以下の文章は、深見正仁教授(環境省から出向)が2020年前期に担当した環境法概論及び環境・コミュニケーション演習の受講者に向けて、オンライン講義のクラスルームに投稿したメッセージをそのまま転載したものです。

 環境法概論はオンデマンド・オンライン講義で実施、環境・コミュニケーション演習は合宿演習であるため中止になりました。オンライン講義は、教員・学生とも隔靴掻痒のもどかしさがありますが、一方で、メールでの文章化された質疑応答によって講義内容が深められるとともに、タイムリーで多量の情報提供が可能となる利点もありました。

 メッセージは、学生からのメール質問と九州で起きた豪雨水害に触発され、深見教授が講義の総括として書いたものです。なお、2019年に行われた環境・コミュニケーション演習については、こちらをご覧ください。

 http://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/2019/190917.html

ハチドリのひとしずく

深見 正仁

 森が燃えていました。森の生きものたちは われ先にと逃げていきました。 

 でもクリキンディという名のハチドリだけは いったりきたり くちばしで水のしずくを 一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます。

 動物たちがそれを見て 「そんなことをして いったい何になるんだ」 といって笑います。

 クリキンディはこう答えました。

 「私は、私にできることをしているだけ」 

 ※南米アンデス地方に伝わるお話 出典;「ハチドリのひとしずく」辻信一監修 光文社刊



 なんだ、いきなり変なメールが来たぞ、と思いますね、すいません。環境法概論と環境・コミュニケーション演習の受講者に送っています。このお話、私が地球温暖化の講義をするときによく引用するもので(今年の講義では、編集の都合上入れませんでした)、残念ながら中止になった環境・コミュニケーション演習では、演習の最後にインストラクターの方がこのお話をしてくれるのが通例です。

 何が言いたいのかというと、この九州と中部地方の豪雨災害と環境法概論でのご質問がきっかけです。

 残念ながら豪雨災害はもう毎年のことになりました。何十年に一度の豪雨が毎年日本のどこかで降る、というのは論理矛盾ですが、要は、気候が変わってしまったのです。昔なら何十年に一度の豪雨が、今は毎年降るのが当たり前になったのです。これが気候変動ということです。

 今年降った豪雨の原因が地球温暖化だ、というと科学的には不正確だと思いますが、豪雨が降りやすくなった一つの要因が海水温の上昇だ、というのは間違いないでしょう。東シナ海の海水温の上昇により大量の水蒸気が海から大気に供給され、それが西風に乗って梅雨前線に送られ、線状降水帯を形成して九州に長時間の豪雨を降らせたのです。地球温暖化により海から水をくみ上げるポンプが強力なものに変わり、それが暴走して陸地に水を吹き出し続けた、という感じです。

 こういう話を聞いていると無力感を感じませんか?もう自分たちにはどうしようもないのではないか?

 そうではない、というのが私の立場です。私は、学部一年生や高校生に対する地球温暖化の講義を次の言葉で始めます。

 「地球温暖化は、21世紀を生きる君たちにとって、もう避けられない『運命』となっています。

 君たちとその将来の世代のために、この運命にどう立ち向かっていくかは、どんな進路に進んでも君たちの人生に具体的に関わってくるでしょう。

 まず、正しい知識を持つこと、その知識に基づき、一人ひとりが具体的に行動すること、それによって運命をより良い方向へ変えることができるでしょう。」

 こういう講義をすることが、私にとってのハチドリのひとしずくだ、と考えています。

 上がってしまった海水温を冷やすことができるのか、世界中で大量に使われ続けている化石燃料を皆で使うのを止められるのか、確かに難しいことです。真面目に考えると無力感を感じます。それでも人間社会は進歩を続けていて、私が社会人になった35年前には夢のようなことで今は当たり前になったものがたくさんあります。現状を変えることを恐れなければ、なし得ることは沢山あると思います。(海水を冷やすのは無理かもしれませんが。。)

 環境法概論のご質問で、個人の力より企業の力を使った方が環境政策では有効ではないか、とのご指摘がありました。そういう面は確かにありますし、フロン類対策の講義では、環境ビジネスがどのように地球環境保全に機能したかを強調しました。でも、企業を形成しているのは人間ですし、行政を動かすのも人間です。そして行政も企業も個々人の意向を無視できないのが自由主義経済であり、民主政治です。一人ひとりが、企業家として、政治家・行政官として、消費者として、投票者として、環境保全を一つの価値基準として行動することが世界を変える、Change! Yes we can.(オバマ前大統領)です。America First! なんて自分本位の品のない言葉ではいけません。

 自分やその周りだけの欲得で行動していても世界は変わりません。世界は混乱するだけです。世界中の人々、地球上に生きとし生けるもの、これから生まれてくる子供たちのことを考えて、自分は今何をやるべきか、そう考えることにより、世界を変える行動が始まります。

 1992年に行われた地球サミットで、12歳のカナダの少女、セバン・スズキさんは、次の言葉でスピーチを始めました。

 「私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。」

 そしてこう結びます。

 「小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、争いをしないこと、話しあいで解決すること、他人を尊重すること、ちらかしたら自分でかたづけること、ほかの生き物をむやみに傷つけないこと、分かちあうこと、そして欲ばらないこと。

 ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、自分達はしているのですか?」

 東北大法学部、公共政策大学院にいる皆さんは、今後、社会の指導的立場に立たれる方も多くいらっしゃるでしょう。環境ばかり考えて物事を判断するわけではありませんが、経済も社会も環境も同時に考えて統合的向上を図っていこうというのがSDGsの基本的考え方であり、今の世界の合意です。Transforming our world が2030アジェンダの題名であることはSDGs講義でお話したとおりです。

 私自身は35年間環境関連の仕事に携わり、結局、今のような事態に至ったことは若い皆さんにお詫びするしかありませんが、環境に対する世の中の意識や理解が昔に比べて格段に進化していることは間違いないと思います。それを机上、頭の中の理解にとどめずに、体感的に、皆と感動を共有しながら、実感してもらおうというのが環境・コミュニケーション演習の開講趣旨だったのですが、私にとっての最後の機会に実施できなかったのは痛恨の極みです。

 とは言っても、皆さんには大きな前途があります。皆さんにとっての35年後、2055年にカーボンニュートラルが達成できるかどうかは、皆さんがどういう意志を持ち、どう行動するかにかかっています。できれば今後、様々な機会に自然と人間の関わりについて理論と体験を通じて考えを深め、地球上の人間社会が持続可能であるように、これからの人生を歩んで行かれることを期待しています。

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