公共政策大学院TOP > 概要 > FDと公共政策ワークショップの事後評価 > 2011年度 ワークショップI プロジェクトB

■プロジェクトB:日本外交における経済協力―対ラオス援助を事例として―

a)このプロジェクトの趣旨

(問題意識)経済協力乃至援助は、開発途上国の経済・社会開発の観点からのみならず、国際政治・外交的にも極めて重要であり、今日、主要先進国がそれを行うことは、いわば国際的な責務とも言えよう。しかし、我が国では懐疑的な論もみられ、20年来の経済不況の中では、援助不要論すら聞こえる。こうした中、我が国の援助は、「国際目標」たる、対GNP比0,7%を一貫して下回っており、金額は1995年をピークに減少し、順位も、欧米諸国を上回る第1位から、2009年度は第5位に下がった。

 他方、経済協力は、文化交流と共に、外交を推進する「車の両輪」等と言われるように、我が国の対外関係上、大きな役割を果たしている。我が国が、国際的に高い声望と強い信頼を勝ち得ていることも、永年に亘る途上国支援や国際協力の努力と無縁ではない。「東日本大震災」に際しては、諸外国と共に、「最貧国」のラオスも、官民挙げての義損金を寄せた。人々は、「今度は、我々が日本を援ける番である」とお金を持ち寄ったという。我が国の援助とその精神は、政府から一般国民にまで浸透し、体感されていたのである。

 しかし、政府による援助が、国民の税金等を原資とする以上、その実施は、納税者・国民の支持が得られ、国益に合致し、他の行政二―ズとのバランスも良いものである必要があろう。また、被援助国側の状況、姿勢も、援助を正当化出来るものでなければなるまい。

(目的)本プロジェクトは、こうした問題意識に立って、我が国の経済協力乃至援助について、(ア)対ラオス援助を例に、その理念と実際を検証し、その意義を両国関係の中で位置付け、(イ)経済協力一般のあり方、我が国外交に於ける位置付けを検討し、更に、(ハ)経済協力の意義をも踏まえた日本外交のあり方を考察して、対ラオス援助、経済協力一般及び外交政策につき、改善・再検討すべき点等につき、提言することを目的とした。

(調査・研究の概要)「講義要綱」(平成23年度版)所載のシラバスを参照願いたいが、本WSは、対ラオス事業を例とし、ラオスでの実地調査、政府要人等からのヒアリング等を重視したのが特徴である。(比較例として想定した中国は、「大震災」の影響も考え、研究対象から外した。)なお、本WSでは、調査・研究の過程で、国際的感覚・意識の涵養をも目指し、英語の多用(文献通読、ラオス側との連絡、資料作成等)、ラオス政府要人への表敬、大学生との交流の実施、先方との折衝、ロジ等の主体的取組み等も重視した。

b)実施の経過

(開講に先立ち、指導教員から、外務省の関係部局等に対し、本プロジェクトの協力要請等を行い、大方の支持を得た。「大震災」の発生で、約一ヶ月半の遅れで開講した後は、引き続き教員より、JICA、在京ラオス大使、来日したラオス外務大臣(兼副首相)、在ラオス横田大使等への協力要請を行った。)

イ)第一期:2011年5月〜7月(基礎的学習、東京訪問(第一次)他ヒアリング等)

 5月17日、WS開講。参加院生6名の顔合わせ、自己紹介。調査・研究の原点として、シラバスを再読し、教員から説明。以後、各回の講義で、担当教員より、外交論、経済協力論等の講義、参考文献・書籍の紹介を行い、院生が分担して主要文献・書籍のレジュメを作成・報告し、全員で討議して、効率的な必要知識の共有を目指した。

 それら努力と並行して、予定した訪問・聴取先にコンタクトを開始し、先ず6月7日、院生全員と教員で、市内の「JICA東北支部」を訪問、初のヒアリングを行った。

 同月28日には、院生全員と教員で東京訪問(第一次)を実施し、外務省では、アジア大洋州局北野充審議官、国際協力局植野篤志政策課長、アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第一課南慎二首席事務官等から、日本外交、経済協力、日本・ラオス関係及び対ラオス援助等につき話を聞いた。更に、JICA(東南アジア・大洋州部佐々木次長、永瀬主任調査役、作道職員等から、日本ラオス関係、JICAの対ラオス、ASEAN援助方針等につき聴取。当方から、現地JICA事務所からの支援も要請)、JETRO(アジア経済研究所ケオラ・スックニラン研究員)、青年海外協力協会等を訪問し、有益な説明を受けた。聴取した内容は、仙台帰着後、院生全員で記録メモを作成・検討して再確認した。

 7月からは、ラオス訪問の大枠日程を検討し、外務省・JICAとの連絡を開始した。

ロ)第二期:8月〜10月(夏期休暇、東京訪問(第二次)、中間報告会等)

 基礎固めを継続し、再度の東京訪問を実施。併せてラオス訪問の検討・準備、中間報告会の準備を行った。本年度は、「大震災」で開講が遅れた分、夏休みは短縮され、中間報告会も、10月11日に繰り下げ(昨年は7月下旬)たが、使える時間は短く、作業は多く、困難もあった。10月から、本WSの参加院生が2名増え、計8名となった。

 ラオス訪問については、大枠の日程案を作成し、外務省、JICAと連絡・協議すると共に、現地の大使館、JICA事務所にも連絡し、支援を要請した。また、東京のラオス大使館にも、表敬及び協力要請を行う必要があり、10月3日、院生8名と教員が、第二回目の東京訪問を実施した。先に教員よりラオスのシートン大使に対し、表敬訪問とラオス事情・日本ラオス関係・経済協力問題についての大使説明を要請し、了承を得ていたが、担当院生から、大使の秘書官と英文メール等で連絡して日時を設定、発言稿、質問事項等も英文で作成し、訪問した。教員より冒頭説明を行った後、大使説明、院生の質問・大使の応答等を行った。外交の現場、大使館を実地に見学し、ラオスの代表たる大使に表敬し、直接に話を伺う、意義ある訪問であったが、実は、ラオスで政府要人を表敬し、関係者と面談する時に備え、「練習」する意味もあった。院生は、英語を懸命に操り、立派に振舞った。

 東京では、ラオス・途上国への支援事業等に実績のあるJICE(財団法人日本国際協力センター。松岡理事長、山野専務理事他より詳細、丁寧な説明あり)、日本・ラオス交流に大きな貢献のある「埼玉ラオス友好協会」(本部は越谷市)、ラオスの子供達への支援を続けているNGO「ラオスのこども」のチャンタソン代表から有意義な説明、教示を受けた。

 ラオス訪問の準備では、航空運賃の安い時期と、院生・教員の日程、現地(ラオス政府側、大使館・JICA事務所他)都合等の調整に時間が掛った。現地との連絡が、迅速・的確に進み難かった為、前年度のWSに比べ、困難は大きかった。具体的な準備作業は、訪問時期の確定、表敬・面談希望先の選定、見学希望プロジェクトの特定と事前勉強、個別プログラムの検討等であった。特に、ラオス国立大学の学生を対象とする、日本ラオス関係及び経済協力等のアンケート調査は、極めて重要であり、他方微妙な問題も含みうるので、慎重に、質問の作成・英訳を行い、前広に大学側の検討を求めた。

 また、シートン大使の示唆もあり、当方の大使宛書簡で、ラオス訪問と政府要人への表敬、関係機関往訪等につき協力を要請し、大使から本国政府に右協力要請を転達願った。

 10月11日の中間報告会は、当初、院生諸君の認識は甘く、対応も楽観的に過ぎたので、教員から直截な助言をした。時間的には相当厳しかったが、院生諸君は良く努力して、パワーポイントも良く仕上がり、報告会当日のプレゼンテーションは概ね無難に終えた。尤も、質問では多様な論点が提起され、院生が応答に苦しむ場面もあった。WSのテーマの「大きさ」と時間的な制約、第二回東京訪問・ラオス訪問の準備の緊迫度等から、中間報告会までに、充分深みのある研究、準備が出来なかった嫌いがあった。

ハ)第三期:11月〜2012年1月(ラオス訪問、最終報告会前夜まで)

 10月は多忙を極め、最大限の努力はしたが、なお、問題も残したまま、30日、出発した。滞在は11月3日まで。諸般の事情で、院生はベトナムのホーチミンシティ経由、教員はハノイ経由となった。なお、前年のWSでの中国訪問に続き、今回も、牧原・公共政策大学院院長が、「顧問」として本WSのラオス訪問に同道されることになった。

 10月30日、成田発、夜ビエンチャン着。ワッタイ国際空港は、我が無償資金協力の案件で、院生は早速建物を見回す。ラオ・プラザ・ホテルにチェックイン後、市内を視察。

 31日、在ラオス日本国大使館(横田順子大使表敬、担当官より説明、館内見学)、JICA事務所(所長他と面談、詳細な説明あり)を訪問した後、トンルン副首相兼外務大臣への表敬訪問、ソムチット計画投資省副大臣訪問・説明聴取、ポンメーク前保健大臣・ラオス日本友好協会会長表敬・面談、セタティラート病院視察(院長応接)等を行う。ラオス側要人は、順に、ラオス政府を代表する対日関係の主務大臣かつ往年の援助担当大臣として(トンルン氏)、現在の援助受け入れ担当省の主務者として(ソムチット氏)、永年ラオス日本友好関係の増進に努め、日本の援助による保健医療分野の改善に貢献した象徴的人物として(ポンメーク氏。それらの功績により、先年「勲一等旭日大綬章」を授与された)、表敬・面談したもの。病院は、経済協力事業の成功例として視察、病院長の説明を聴取。

 11月1日、地方視察を兼ね、ビエンチャン北方数十キロのナムグム・ダム及び、百数十キロの「造林普及センター」を視察。帰路、景勝地バンビエン(ベトナム戦争期の米軍飛行場跡あり)、無償協力案件ヒンフープ橋を視察。前二者は、往年の優良案件、成功例として、後者の橋梁は、援助の需要と効率を考える事例として視察した。

 2日、ラオス国立大学訪問。「東北大学・ラオス国立大学間交流」事業として、先方大学首脳(学長は不在で副学長が代行)を表敬訪問し、続いて歓迎・懇談会、日本の援助に係る「ラオス日本センター」を見学、次に、文学部日本語学科の、日本の援助に係る校舎で、日本語学科生と当方院生の間で、学生交流会(意見交換、懇談、アンケート実施等)を行った。牧原院長の同道を得たので、この東北大学(公共政策大学院)初の訪問を「大学間交流」事業と位置付けた。本学・本大学院の国際交流・対外PRにも資し、院生が、自ら青年・学生交流を実践した意味で有意義であった。

 次いで、首相府にケンペン大臣兼水資源・環境庁長官の訪問、UNDP(国連開発計画)ラオス事務所、在ラオス・フランス大使館の訪問、ヒアリングを行った。女史は、往年トンルン大臣の下で、援助問題を取り仕切って声望が高く、アジア開発銀行の副総裁に転出、帰国して現在に至る。当然日本の援助に詳しい。UNDP(横須賀副代表他)、フランス大使館(アベール次席)からは、日本の援助への国際機関、第三国の評価を含め、詳細かつ示唆に富む説明があり、有益であった。

 同日夜は、大使公邸での夕食会に招いて頂き、横田大使、磯公使始め在留邦人、青年海外協力隊の方々と懇談出来た。

 3日、世界銀行ラオス事務所(三輪カントリー・マネジャー(所長))を訪問、大局観ある説明を聴取した後、空港へ。ベトナム経由帰国。

 ラオス訪問で表敬・面談した、ラオス政府要人から国際機関・外国大使館の代表に至る方々は、殆ど異口同音に、我が国の援助を高く評価しており注目された。帰国後、ラオスでの様々な経験、ヒアリング、知見等を整理し、メモを作成・検討した。同時に、数多くの御礼状(英文、和文)を作成、発出した。他方、慮外の事情が起こり、善後策につき議論を重ねた。その結果、ラオスを再訪問することに決し、希望者中の一名と教員が、2012年1月3日から6日まで、ビエンチャンを訪れた。日程、訪問・面談先等は、「報告書」資料編に詳述したので省くが、先の訪問の成果を補い、新規のヒアリングも行うなどして、WSとしての知見に「厚み」を加えることが出来たのは幸いであった。

 二度のラオス訪問を経て、1月21日の最終報告会に向け、日本語学科学生のアンケートの分析、版を重ねた報告書案の再改訂、パワーポイント資料の作成等に全力を尽くした。

二)第四期:2012年1月以降(最終報告会と「報告書」最終版作成、関係機関への報告、「提言」の実施、協力機関・関係人士への御礼状・「報告書」送付等)

 最終報告会は、研究成果が収束し、パワーポイントも良く纏まったことで、一応無難に終えることが出来たが、ラオス訪問の成果を咀嚼し、「発酵」させる時間が足りず、「報告書」を充分練り上げるには至らなかった。よって、報告会後も、10日後の「報告書」の提出期限に向けて、内容の再チェック、資料編の作成、アンケート分析等に努力を続けた。

 「報告書」製本版の完成後、提携機関たる外務省、JICA等に、御礼状を添えて送付する必要があり、WSの結果報告も検討・連絡中である。昨年のWSでも、この作業には存外に大きなエネルギーと時間を要したので、何名かの院生には、引き続き、これに取り組んで欲しいと願っている。多大な支援を頂いたラオス政府、国際機関などに対して、どう謝意表明、「報告書」送達、報告・「提言」等を行うかも検討中である。

c)成果

 本WSの成果は大きく、広汎に及んだと判断される。

 第一に、本WSが所期の目的を達成し、水準の高い最終報告書を作成出来たこと。本WSでは、テーマを大きく、目的を高く設定し、調査・研究の手法、具体的活動も、海外の実地踏査を含むものであった関係で、心配はあったが、「成果」は想像以上であった。

 第二に、参加院生は、概して、国際的側面への関心が強い人達であったが、具体的な問題となると、経済協力でもラオスでも、強い関心を持つ者ばかりではなく、実感が伴わず、迂遠な感じを持つ者もいたかと思う。しかし、研究・調査の進捗に伴い、次第に、視野が広まり、国際的感覚を強めて行く様子が看取された。世界の主要国として国際的な責務も負う日本の、「「公共」政策」大学院における教育は、当然に、相応の「国際性」を志向する必要があり、本大学院のWS1のプロジェクトに国際的なテーマを含めるのは、正にかかる観点からであろう。その趣旨は、本WS参加の院生に、充分に活かされたと言えよう。

 第三に、本大学院の人間力練成、実務的教育重視の精神に照らし、院生諸君が大いに成長したと言える。外務省、JICAを中心に、現地ラオスの我が大使館、JICA事務所、そしてラオス政府要人、国際機関・在ラオス・フランス大使館、我が国公的機関、NGO、ボランティア等、国内外の、様々な機関・組織、人々と交流する過程で、院生諸君は、通常の「知育」的・「学問」的研究活動の枠を超える、実際的な「教育」に与り、「人間力」を錬磨出来たと思う。(外務省、JICA、国際交流機関等の志望者が多かった本WSにあって、そうした活動は、職場見学やインターンシップ的な意味も持ち得たことを申し添える。)

 何よりも、様々な個性と能力を持った8名の院生が、紆余曲折はあったが、試練を乗り越え、協力し、補い合って「共同作業」を完遂した、協働のプロセス自体が、意義深い成果であった。高い水準を持った最終報告書も、叙上の様々な成果も、もし「共同作業」自体が上手く行かず、協調が瓦解する如きことがあれば、達成は覚束なかったであろう。

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