東北大学公共政策    

プロジェクトB:広域合併自治体の行政体制と旧町村の地域振興に関する研究 ~山形県鶴岡市の事例から~


(1)趣旨

江戸時代から庄内地方の城下町として栄えた山形県鶴岡市は、平成の大合併に際し周辺の藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村及び温海町とともに新設合併の形で、2005年(平成17年)10月1日に新鶴岡市の発足に至った。この合併は、新市発足時、人口は約14万2千人(県内2番目)という規模ながら、市域が東西約43㎞・南北約56㎞に及び、面積1,311.53㎢と東北地方では1番、全国でも10番目に大きな市町村となる広域合併となった。 我が国では、少子高齢化が急速に進展した結果、2008年をピークに総人口が減少に転じ人口減少時代を迎えているが、2021年10月1日の人口推計で対前年比過去最高▲0.51%の減少率となる状況に直面している。2014年5月には、民間の有識者らでつくる日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)が全国896市区町村について「消滅可能性都市」と指摘した衝撃的なレポートを公表したが、その中で2010年から2040年の30年間の推計若年女性人口変化率が▲50%を超える市区町村が「消滅可能性都市」と定義されたところ、鶴岡市も▲52.5%で全国896の一団体に含まれている。 鶴岡市は域内に日本遺産を全国最多の3カ所を抱えるほか、クラゲの展示種類が世界一の水族館を有している。また、豊富な在来作物からユネスコ食文化創造都市に国内で最初に指定されたほか、バイオテクノロジーで世界から注目を集める鶴岡サイエンスパークからは、上場に至ったものを含め数多くのベンチャー企業が誕生している。 このように鶴岡市は地域からの情報発信には事欠かない地方都市ながら、直近の国勢調査(R2)人口は122,347人で前回調査比増減率が▲5.6%と、長らく人口減少県上位の常連となっている山形県全体の▲5.0%を上回っているほか、毎年の減少数も年々拡大傾向にあり、新市設立時と比較して約2万人(▲14%)以上減と人口減少に歯止めがかかっていない厳しい状況となっている。 結果として3200余りの全国の市町村数が1727になった平成の大合併においては、行財政基盤の強化や広域的なまちづくりの必要性などが合併の意義として挙げられていた一方、周辺地域が寂れるのではないかという危惧が最も強く懸念されていたことであった。広域合併を実現した鶴岡市にとっても旧町村地域の振興は大きな課題となっているが、人口の面だけ見ても旧町村地域のH27→R2国調人口の減少率は、いずれも旧市域を上回っており、特に旧朝日村地域及び旧温海町地域の減少率はともに約14%と切実な数字となっている。高齢化についてもやはり日本全体の問題ではあるが、市内旧町村地域においては早くから進行して加速してきており、将来的な集落機能の維持が懸念される地域は少なくない。 地域振興や人口減少については長年国として取り組んできた課題であるが、特効薬がないままに両者が負の反応を起こしながら加速するような切実な状況にあり、その対策について「撤退戦」という表現まで使われる昨今である。都市での日常生活においてはあまり意識することがないが、以前から過疎が進んできた農山漁村地域は、水源の涵養はじめ、食料自給率の低い我が国の農林水産物の供給などの面で多面的機能を有しており、国民生活上果たす重要な役割に変わりはない。 本ワークショップでは、広域合併で誕生した山形県鶴岡市を研究対象として、旧町村の地域振興についてその実情を踏まえ、文献調査やヒアリング調査を通して収集した情報の分析・検討を行い、国内の多くの地域で同様の厳しい現実に直面していることにも理解を深めたうえで、実地に即した生きた政策提言を目指したものである。  

(2) 経過

(ア) 年間の作業経過等

a)前期

4月から5月にかけては主に条件不利地域の地域振興に関する基礎知識を習得し、現状を把握することに力点を置いて進めたが、地域振興という広大なエリアから政策提言に繋げていく「切り口」を早めに掴むことを心掛けながら、前期の山場となる中間報告会の報告内容をイメージし、7月までのカレンダーを睨みつつ、そのためにどのような調査研究活動の組み立てが重要であることにつき、活動の初めにメンバー間に意識づいたところはその後の進行に大いに役立ったと考える。 具体的には、担当教官から近年地域振興ツールとして話題に上ることの多い地域づくり協力隊やふるさと納税の制度の紹介や、国土形成計画における過疎地域の位置づけ、過疎対策といった国の取組みに加え、鶴岡市の総合計画や予算等について紹介したほか、今後の調査研究のために基礎的なデータ活用手法のブリーフィングを行った。メンバー間では、山形在住者による県勢の紹介や仙台市現役職員から仙台市内の人口減少地域の取組み等の紹介を行ったほか、担当者を決めて過疎地域の地域づくり関連の参考図書や住民自治組織に関する総務省研究会報告書を読んで発表ののち、全員で質疑・意見交換などを行った。そうした過程を経て、4月中には住民自治、空き家・耕作放棄地対策、移住促進・交流増といった切り口の方向性がまとまり、全体的な日程感から、まずは山形県庁に県内過疎地域に対しいかなる支援を行っているかを訪問調査する方向が決まった。ヒアリングにあたっては、メンバー間でこちらの大まかな関心事項まとめて訪問先窓口に投げかけ、庁内多課にわたる関係者の都合の着くところで日程をセットし、並行して細かな調査項目をメンバー間で協議の上まとめ、訪問10日前を目標に送付できるように進めた(年間を通してこのような手法をとった)。 山形県庁では5部の6課にもまたがるこちらの調査項目について、関係課の都合を勘案して首尾よく一日のうちで調整していただいた。住民自治で全国的にも有名な県内団体について詳しく紹介いただくなど実りの多い訪問となったが、窓口課となっていただいた課の課長は偶然本学出身と、そうしたご縁にも助けられてヒアリングのスタートを切ることができた。6月上旬にはいよいよ本丸鶴岡市への調査となり、初日は観光の目玉である加茂水族館や羽黒山を訪問。羽黒山ではメンバーが山伏の修行の場となる2,446段の石段を自力で登っている。また、外国人含め多くの観光客が山伏体験に参加している現場にも遭遇した。単なる物見遊山ではなく、自らの実地体験が地に足の着いた政策提言のために大事な要素の一つであることを身をもって知る経験となった。鶴岡市本庁舎では市長表敬を終えた後、多岐にわたる質問への文書回答を窓口課に補足いただいたほか、公共交通部門の質問に対して庄内交通にも同席・回答をいただいた。その他、サイエンスパークや朝日・温海の両支庁など、3日間にわたりかなり窮屈にスケジュールを組んで走り回ったが、住民生活に密着した基礎自治体の役割の広い地平の一端が垣間見える価値ある経験になった。6月下旬の中央省庁ヒアリングでも同様に、2日間で5省2団体を暑い中で走り回るようなスケジューリングとなったが、各省庁それぞれの持ち場で人口減少局面での地域維持にいろいろな政策資源を投入している実態を理解することができた。 これら県・市・国のヒアリングを終えて以降、ヒアリングの振り返り及び参考図書等から得た知見などをもとに、鶴岡市、とりわけ朝日地域及び温海地域の現状や課題の分析を進め、今後の検討の方向性について議論するとともに、中間報告会に向けた準備を行った。  

b)報告会Ⅰ(中間報告会)

中間報告会ではそれまでのヒアリング結果等を踏まえ、市はもとより国、県における現在の取組みを概観しつつ、鶴岡市、とりわけ両地域における現状と課題を示し、住民自治、空き家・耕作放棄地対策、移住促進・交流増の3分野を切り口とした調査研究の方向性を提示した。各自担当部分のスライドを作成してプレゼン時間の調整を行った上で本番1週間前には通しのリハーサルに至るなど、チーム全体として遺漏なきスケジュール管理のもとに準備は進められた。 本番では、プレゼン途中に資料を1ページまで戻してしまうハプニングがあったものの予定していた内容を時間内に収め、多くの質疑にもメンバー全員落ち着いて対応できていたのは、これまでの活動を上手く整理し、準備が概ね行き届いていたと評価できるものであった。目指すべきビジョンとして、今いる人も、これから来る人も住みやすい地域づくり、略して「今これ」については、スライド作成段階で唐突に現れた感じであったが、メンバー間ではしっかり温めていたもののようで、質問した教員からも全体の方向性を示すキャッチフレーズとして印象深い旨の好意的なコメントが聞かれた。他方プレゼン時間に比してスライドが多過ぎたという指摘もあり、時間内に収まったとはいえ、聞く側が順序だててプレゼンの主張を理解するのに難が生じるような量となってしまったのは反省材料となった。  

c)夏季

中間報告会の前から夏季休業中に現地合宿を行うことを検討していた。テーマは「役所の先」、すなわち本ワークショップの調査対象のような地域の持続可能性を考えるうえでは、地域住民が地域の将来を我がこととして捉えるともに、地域資源を活用した内発型の取組みが不可欠であると、他地域の実例等から認識したことによる。思いの外メンバーは夏季集中講義や就職活動で多忙であるとのことだったため、担当教員からは市の両庁舎と訪問先及び日程について調整すること、後期のヒアリングを円滑に進めるために、いくつかは9月中に打診を始めておくようにとのみ指示をした。 メンバー間では意欲的に、条件不利地域対策を考えるうえでの文庫本を全員が2冊読んで意見交換するリモート読会を企画し、都合がつけば教員も参加することとしていたが、一部メンバーの体調不良や、思いの外時間を要したため、予定した量はこなせずじまいとなった。 合宿については、9月下旬に調査対象である朝日地域及び温海地域に分かれて宿泊する2泊3日で実施した。初めの2日間は目指していた「役所の先」である、UJIターン者や地域づくり協力隊員、農業・漁業関係組合や観光NPO、自治会や広域自治会等にそれぞれタイトなスケジュールでヒアリングをこなすことができたのも、両庁舎の担当者の方がこちらの関心事項を踏まえて人選し、日程調整をしていただくといった大変なお骨折りの賜物であった。役所を訪問するのとはかなり質の異なるインタビューができ、貴重な情報収集及び経験となったが、概して細りつつある地域の熱量がもっと伝わってくると思っていたというのも正直なところである。  

d)後期(年内)

後期の調査研究は政策提言に向けて、朝日地域及び温海地域、そして各メンバーの担当分野において深掘りと組み立てが必要になるので、独立した活動が多くなりがちであったが、政策間の相乗効果ということもあるので、決して蛸壺に入ってしまうのではなく、プロジェクト全体の中での立ち位置を意識しながら取り組むよう促した。また、担当してきたテーマについて、提言に向けて行き詰まりを感じるメンバーも出てきたため、拘りによって方針転換が時間的に無理な状況に陥ることのないよう、若干の軌道修正をかけつつ取り組んだ。 ヒアリング先として、組織としての概括的な取組を聴取した東北農政局以外は、これまでの調査や情報収集でつかんだ、提言を考えている政策に関する先進事例の実施主体に主にあたることで、政策遂行上何が肝になっているのか、どのように鶴岡(朝日あるいは温海)にフィットさせるか、体制及び財源は、という具体論を磨き上げるためのものになっていった。社会人学生や遠距離通学者がいることでの時間的制約や予算上の制約もあり、考えた全てのヒアリングをこなすことはできなかったが、隣県は恒例となった担当教員の日帰り遠距離ドライブで対応したり、遠方の観光協会にはリモートで対応してもらったりと時間と予算の限りで納得できる活動に努めた。外部からの視察対応を有料にしている「先進的」団体があると聞いてはいたが、実際に今回目の当たりにすることとなり、3団体においてヒアリングに際して料金を支払った。その他開催直前に情報をキャッチした朝日中学校生徒全員が参加する「地域語り合い」にメンバー二名が参加し、地域の大人のみならず若者の、自分のふるさとへの感受そして考える将来像にひざ詰め談義の中で触れる機会は、本当に得難いものであった。 また、11月上旬には各メンバーのその時点の提言のアウトラインを、リモートにて鶴岡市の本庁及び両支庁の窓口課の職員にプレゼンしてコメントをもらう「壁打ち」を実施した。担当職員の方々には日々多忙にもかかわらず一時間単位の時間を快く割いてもらい、我々がその場で方向性のチェックができたことは、安心してラストスパートに突入するための貴重な機会となった。  

e)報告会Ⅱ(最終報告会)

最終報告会においては、途中でテーマを微修正したものも含め、各人が組み立てた提言にかかる全体の中での位置づけについて今一度整理を行い、朝日地域への提言が4本、温海地域へは3本、共通するものが2本という全体構成に組み替えて各種提言を行った。朝日地域の提言は住民自治及び農業に加え、ともに軌道修正から生まれた公共交通及び既存ストックの森林活用という形になった。温海地域担当メンバーの提言のうち、住民自治、農業、既存ストック活用は温海の地域に根差したものとしてそのまま温海地域への提言となったが、観光の推進及び移住定住の促進については、両地域のみならず、市内全体に関わりをもつような提言内容になったことから、パーツの仕上がりを見て全体構成にうまく配置できる柔軟な対応がなされたと評価できる。また、目指すビジョン「今これ」は調査研究を進めるうちにメンバー間で少し違和感を覚えるようになったものの、中間報告会で注目を集めた経緯もあり、変えることも無くしてしまうことも憚られたが、メンバー間でしぶとく議論を行い、「今いる人のために、これからの地域のために」と若干の字句の置き換えをすることで、うまく看板を維持できた。 各分野の提言については、概ね断片的にならずいくつかの事業により効果をたかめるようなパッケージとして示されており、できるだけ財源や体制にも言及することで、より地に足の着いた内容になったものと考えている。 また、今回も中間報告時と同様に1週間前には通しのリハーサルに漕ぎつけたものの、スライドや説明内容の修正箇所が多く、数度にもわたったため時間を要し、想定質疑など細部までの準備は中間報告会ほどに達しなかったとの懸念もあった。 しかしながら4プロジェクトのトップバッターとして、リハーサル通りの時間配分にてプレゼンテーションを円滑に進めたほか、学生や教員との質疑においてもグループ全体として役割分担のもとに落ち着いた対応であったと認められる出来栄えであった。コメンテーターをお願いした農林水産省審議官からも、よく考えられていると今後の励みになるコメントをいただくことができた。  

f)後期(年明け以降)

最終報告会はトップバッターで早々にお役御免になり、年内に他にタイミングがなさそうだったので、メンバー全員が残っていたその夕刻に冬季休業中に各自進めておくことや約束事についての打合せを実施できたのが年明けのスムーズな再始動につながった。打ち合わせ通り年明け第1回ワークショップの前の週末には全員の第一稿を合体できたため、ワークショップの再開日には教員からのコメントの口頭補足及びそれに応じた修正が進むとともに、章立てや用語の用い方、図表や脚注、引用文献の書き方等のルールが決められ、形式的な統一が順次図られた。 また、最終報告書に掲載するヒアリング記録について、量的に膨大でまだ整理できていないものも多数あったが、作業にメリハリをつけてそれぞれヒアリング先に案を送付し、内容確認とともに掲載の許可をいただくに至った。 教員の熱心な指摘はワークショップ最終回まで続いたが、メンバーも粘り強く応えて内容を固め、締め切り前数日は誤字脱字、ヒアリング結果や文献等の改めての精査といった作業に、リーダーの的確な指揮の下メンバー間で作業を分担し、チームとしての報告書を完成させることができた。加点要素にはならないが、他のプロジェクトチームより半日近く早く提出できたのは、メンバー全員が計画的に作業を遂行したことの表れといえるだろう。 あとは本ワークショップのグランドフィナーレとなる現地報告会が控える。本庁舎での皆川鶴岡市長への報告のみならず、朝日・温海の両地域でヒアリング対応等ご協力をいただいた方々にも案内がなされている。多くの方々の本調査研究への多大な協力に報いる質の高さで、10か月にわたるこのプロジェクトの最後を気分よく締めたいところである。  

(イ) ワークショップの進め方

毎週火曜日は3限から5限までの開講時間はもとより、5限終了後も切りのいいところまで残っていることが多くあった。また、他の曜日も集まれるメンバーで必要に応じワークショップ室に集まって協議や作業をしていたが、これらはメンバーがワークショップの準備に充てるためのものであり、メンバー間の議論を重視する観点からも、担当教員は基本的に参加しないこととしていた。チーム全体での活動について、2名が現役社会人学生であるほか、2名の遠距離通学者の公共交通のダイヤの関係から活動時間には制約があり、他のチームよりメンバー全員揃っての活動時間が確保しにくかった状況にあった。両報告会前の土・日曜日はリハーサル用に会場となる教室を使用できることになっているが、連日行っていた他の全てのチームと異なり、当チームのみ土曜日だけで済ませようとしたところは心配にも思えたが、その前までしっかりとした手順を踏み、一度のリハーサルで修正すべきことを認識し、本番までにその修正を各自が自立して行えた点では、効率的な運営がなされたという証左ではなかったかと考える。 また、仕事や就職活動のため、火曜日以外にセットすることとなったヒアリングに参加できないということも多くあったが、質問事項の玉出し、その協議まで関係メンバー全員で責任をもって行ったうえで、ヒアリング現場では参加メンバーで役割分担して対応し、ヒアリング後は当該不参加者へのフォロー及び不参加者からの意欲的なキャッチアップといった形で、活動上の様々な制約を乗り越えながら調査研究が進められており、メンバー間の不協和音はほぼ感じられなかった。 スケジュールについては、中間報告会、最終報告会といった主要なポイントから逆算して流れをつくり、相手の都合により決まる部分があるヒアリングを上手く落とし込みながら、メンバーが主体的に日程を立てて管理した。役割分担については、「リーダー」「サブリーダー」、「書記」2名、「儀典」、「渉外」2名、「会計」2名をおいた。当初は2か月後に見直しということで始めたところ、各係の仕事量は性格上若干の差異は避けられないものであるが、結局最後まで変更すべきという議論は生じなかった。 政策提言の検討にあたっては、先述のとおり朝日と温海の両班に分かれ、それぞれ住民自治、空き家・耕作放棄地対策、移住促進・交流増という切り口から調査研究のアプローチをかけた。地方公共団体の行う事務事業の多くは地域振興を目的とするものなので、適切な切り口を見つけその分野で掘り下げていかないと他方でそのようにするとどうしても各メンバーが自身の担当分野のみの作業に集中してしまう「蛸壺化」に陥ってしまいがちである点は注意を喚起しながら進めた。 副担当教員としては、堀澤明生准教授及び金子智樹准教授にご指導をいただいた。昨冬の段階で春に本学への赴任が決まっていた堀澤准教授は、着任前からワークショップへの参画を強く志願され直前に当チームに加わったという経緯であったが、大きくは2班に分かれながらの当チームの活動が効率的に進められたことを考えると、結果として大きなご貢献をいただいたといえる。両准教授とも熱心にワークショップに参加をいただいたが、堀澤准教授からは行政法を中心に法解釈面で種々助言を賜り、金子准教授からは公的データの活用といった面で貴重な指導をいただいた。両者ともに研究者としての多大な実績を積んできているが、今回報告書執筆の最終段階に至るまでのこれまでの経験をもとにした熱心な指導ぶりに、教育者としての両者の意気込みが現れていたことを付言しておきたい。  

(3)成果

(ア)最終報告書

最終報告書は本報告書のテーマの土台となっている、市町村合併と人口減少問題についてプロローグ的に言及する「はじめに」に続く4つの章から構成されている。 第1章では、何も知らずにこの報告書を手に取った人でも、今回鶴岡という地を対象にして調査研究が行われた理由について順序だてて深く理解できるように、第1節で研究にかかる背景・目的・方法を明らかにしたうえ、第2節で地域の概要と広域合併により現在の新市の成立に至った経緯等を紹介している。 第2章においては、日本社会全体が直面する少子高齢化・人口減少について、地方都市という括りで全国及び東北地方が厳しい状況にある現実を直視した(第1節)うえで、現状分析を鶴岡市全体から旧町村単位にブレークダウンすることで、鶴岡市内でも旧朝日村及び旧温海町が調査すべきエリアとしてあぶり出てきたことを説明し、その過程を経て調査研究にあたり意識したことについて小括を加えている。 そして第3節において、文献調査などから地域振興のカギの共通項ともいえる(1)住民によるまちづくり及び内発的な経済活性化、(2)内外交流による循環型地域づくりといった二本の政策提言の方向性、及び目指すビジョン「今これ」を掲げ、データや定性的分析をもとに、いかなる視点で検討分野(=調査の「切り口」)の設定に至ったのか、いよいよ始まらんとする政策提言へボルテージを上げている。 第3章は本報告書の本丸であり、政策提言を連ねている。地域振興のために実りのある提言を行うという観点から、調査研究途中で若干の変遷もあったものの、メンバー1人につき1テーマについて概ね施策パッケージのような形でまとめた、自身の10か月にわたる活動の成果の最たる部分になっている。朝日地域への政策提言としては、広域コミュニティ活用による足腰の強い住民自治の形成、交通弱者を支えるための需要に根差した地域モビリティの確立、鳥獣被害対策と食文化創造を結び付けたジビエ振興、そして地域エネルギーの循環を目指す森林資源の活用の4点になった。一方、温海地域へは、地域の将来を考え、課題解決を目指す重層的な取組による住民自治の強化、料理とのコラボレーションによる農業の魅力向上、地域資源である廃校の積極活用の3点の提言となった。さらに両地域のみならず市域全体にかけて効果の発現が期待できるという意味合いで、観光及び移住定住の促進の取組みをまとめている。 仕上がりはトータル300ページと大部なものに仕上がったが、もちろん長ければいいというものではないものの、各人が苦労して行ってきた調査研究の成果を丁寧に書き下ろした成果であると評価することはできるだろう。

(イ) ワークショップを通じた能力育成

公務に携わる社会人学生二名を除き、概ねほとんどのメンバーは、基礎自治体が住民に最も近いところで住民の福祉のために広範囲な仕事をしていることを知識としてしか知らず、また過疎地の地域社会の現実のイメージなど乏しかったことと思う。そういった観点では、この10か月にわたり、時には「役所の先」まで入ってヒアリングをし、地域の持続性をどう保っていくかと考える活動は、知識もさることながら、やや大げさではあるが、これまでの人生で「知らなかった現実」を目の当たりにする経験として、大きな学びに繋がったのではないかと認識している。 そうしたあまりバックグラウンドのない状態から政策提言として報告書にまとめあげるまで苦労が多かったこととは思うが、なんといってもワークショップの最大の特徴であるグループでの調査活動という点で、脱落者なく、足並みの乱れもほぼ見受けられずに最終地点に到達できたということは、グループ内のいい緊張感で各人手を抜くことなく切磋琢磨した賜物であると理解している。もちろん2度の報告会や報告書作成を経験することで、資料作成やプレゼン能力といった個々のパーツの能力向上も今後生きていくうえで武器になるに違いなく、さらなる研鑽を期待するところである。 こうしたプロセスこそが本学のワークショップが売りにしている実務の疑似体験であり、官民を問わず、今後各人が組織に属し様々な企画立案をするのに生きてくるはずである。しかし多少口うるさくなってしまうが、お互いにとって成長の大事な糧となる建設的な批判を十分になしえたか、終盤において個々人の担当以外の部分に注意を払うことができたかよく振り返って今後につなげてほしい。特に後者について、組織で取り組む仕事では思いがけない「ポテンヒット」が生じ、その対処にエネルギーを取られてしまうことが往々にしてある。能力というよりは心がけレベルだが、一種の大事な危機管理である。 また、この10か月で身に着けたのは、政策立案の方法論のまだ骨格にしか過ぎない。来年度のリサーチ・ペーパーの執筆、そして実社会での経験値によってしっかり肉付けをして、課題解決のために是非頼られる人間になっていただきたい。 メンバーが今後社会に出て活躍する場は大方都市部になると想像するところであるが、鶴岡で見てきたような状況は、三大都市圏以外の地域では広く、似たような状況になっていると言っても過言ではない。今回この調査研究をやり通したメンバーとして、地域を維持していく取り組みが将来のこの国の形をも左右するテーマであることを決して忘れずに、それぞれの立場からこの厳しく複雑な問題の解決に末永く助力してくれるよう期待したい。

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