山形県北部の最上地方に位置する新庄市は、全国有数の豪雪地として知られています。2024年度の公共政策大学院・法学部合併授業「日本政治外交史演習Ⅱ」では、「近代日本における雪害対策運動」をテーマとして、関連する文献や歴史資料の読解に取り組んできました。全国的に大雪に見舞われていた2025年2月20日(木)と21日(金)の二日間、この授業に参加した学生有志7名で、新庄市にフィールドワークに出かけてきました。
仙台駅前から高速バスに乗り、2時間半で、新庄駅前に到着です。作並温泉のあたりから雪景色になりましたが、関山峠を超えて、山形県内に入ると、積雪量が大きく変わることが、車窓からよくわかりました。

<高速バスの車内>
訪問地は、雪の里情報館です。この施設は、戦前の1933年に設けられた「旧農林省積雪地方農村経済調査所」(通称雪調)を起源としています。この雪調は、昭和恐慌などで疲弊した東北地方の農山漁村を救済するための国の調査研究機関でした。それゆえに、当時の貴重な歴史資料などが、今でも大切に保存されています。

<かつての庁舎>

<雪の里情報館の展示>
1932年には、内務省に「雪害対策調査会」という審議会が設置され、貴衆両院議員や、担当する各省の幹部が集まって、雪害対策を真剣に議論していました。この授業では、3年間に及んだ審議会の議事録を、全て通読するという苦行に取り組んできましたが、保存されていた当時の資料を実際に手にとってみると、多くの人たちが真剣に議論してきた努力に頭が下がる思いでした。また、地元の郷土史家の方々からお話を直接聞くことで、雪害対策の歴史と地域の関わりを、より具体的にイメージできました。

<資料調査の様子>

<郷土史家の方々との懇談会>
雪害対策運動の歴史を学んだあとは、今の雪対策の現状と課題を知るために、新庄市役所の都市整備課でのインタビューを行いました。事前に学生たちが作成していた12個もの質問に対し、ご担当の職員の方々が、非常に丁寧にご教示くださいました。市道の除雪は、午前2時30分から、午前4時30分までに、前日からの降雪量が10cmを超えると、出動するそうですが、一回の出動で1600万円もの費用がかかることや、昔は深夜や早朝に職員が目視して除雪作業の実施確認を行なっていたことなど、現地ならではの実情を教えていただけました。

<新庄市役所でのインタビュー>

<市役所へ向かう途中での除雪作業風景>
今年1月に入ってから、全国的に大雪の被害が生じています。人口の多い都市部には、それほどの積雪がないことから、この「雪害」の対策は、どうしても後回しにされがちです。1932年からの「雪害対策調査会」の活動も、やがて1934年に東北地方が再び大凶作となると、後景に退いてしまいました。こうした歴史の経験を、現代の公共政策や未来のまちづくりに、どのように活かしていくべきか。公共政策の担い手を目指す若き学生たちと、真冬の新庄で交わした会話は、担当教員にとっても実り多い思い出になりました。

<いざ夜の街へ>

<新庄名物もつラーメン>