「地域社会と公共政策Ⅰ 環境政策」の授業では、フィールドワークとして「東日本大震災・原子力災害伝承館」と「中間貯蔵施設」を訪問しました。このフィールドワークは、「法学部・法学研究科法学教育研究支援基金」に基づく「学生活動支援金」の助成を受けて実現したものです。
福島県では、地震と津波による被害に加え、東京電力福島第一原子力発電所事故による複合災害が起きました。双葉町にある伝承館では事故直後の緊迫した状況から現在に至るまでの歩みをコンパクトに学ぶことができ、最初の訪問地としては最適です。

また、伝承館の近隣には、本年6月に「福島県復興祈念公園」がオープンしました。まだ整備途上ですが、厳かな追悼施設が整備されるとともに、震災と原発事故前の穏やかな自然・生活空間と被災建物が共存する不思議な感覚を覚える場所です。

復興祈念公園内の追悼施設(左) 被災建物と建物を守る伝統的な「居久根」(右)
◇東京ドーム11杯分の土壌
午後からは、常磐線で大熊町に移動し、昨年3月にオープンした駅前商業施設「くまSUNテラス」の飲食店でお昼を頂いた後、産業交流施設「CREVAおおくま」にある「中間貯蔵事業情報センター」を訪れました。「中間貯蔵事業」は1日も早い復興のため、福島県内の43市町村で行われた除染(大熊町等では今も実施)で発生し、約1400か所に及ぶ仮置場で保管されていた大量の土壌等を大熊・双葉両町に整備された中間貯蔵施設に搬入し、安全に管理する事業です。これまでに搬入・貯蔵されている土壌等は1400万m3、東京ドーム11杯分にのぼります。
センターで事業の概略を学んだ後、中間貯蔵施設を管理している中間貯蔵・環境安全事業株式会社(JESCO)の職員の案内の下、実際に施設を見学しました。搬入された土壌は、「受入・分別施設」で土壌と可燃物に分けられ、土壌は土壌貯蔵施設で、可燃物は焼却後にその灰が廃棄物貯蔵施設で貯蔵されています。見学では、既に覆土された土壌貯蔵施設に降り立ち、線量計で放射線量が一般地域と変わらないことを確認しました。

(土壌貯蔵施設での見学と線量計の値)
◇時が止まった小学校
また、中間貯蔵施設内にあった介護施設や小学校を訪れ、着の身着のままで避難したために原発事故直後そのままの状態を窓越しに見ました。他方で15年の年月で学校のグラウンドには木々が生い茂り、その対象的な光景に複雑な思いがよぎりました。小学校は現在保存するかどうかの議論の真っ只中で、当時の状態が保存されている価値は計り知れない一方、維持管理には莫大な費用がかかり、「もっと前向きなことに予算を使うべき」という声にも重みがあります。

(時が止まった「熊町小学校」)
見学後には、再び「CREVAおおくま」に戻り、JESCOの職員の皆さまとともに振り返りを行いました。中間貯蔵施設は、施設名に「中間」とあるように、施設の地元への受入時の約束で2045年3月までに福島県外で土壌等を最終処分することが法律で定められています。その実現のためには低濃度の土壌の公共工事等での再生利用と残ったものの最終処分が不可欠ですが、その方策を中心にグループディスカッションを行いました。事前の授業における議論では、受け入れた地域住民へのインセンティブが重要との意見が多かったのですが、見学後はそれに加え、実際の見学者等による情報発信と理解醸成を重視するものが増えたように思います。

東北に位置する大学院として、参加者それぞれが、現場から福島の現状と復興に思いを馳せる一日となりました。
◇公共政策は誰のために
最後に、今回の訪問を踏まえた参加者の感想をいくつか紹介しておきます。
- 実際に施設を訪れ、広大な敷地や周辺地域の状況を目にしたことで、その規模や、施設の整備によって失われた暮らし、土地を提供した人々の負担を具体的に捉えることができた。
- (今回の見学による)最も大きな変化は「被災地福島の今を、自分の言葉で周囲に伝えたい」という思いが強くなったことです。復興は行政だけが担うものではなく、社会全体が向き合うべき課題であるからこそ、現場を見た一人として、学び続け、伝え続ける姿勢を大切にしていきたい。
- 中間貯蔵施設の建設に伴い、自身の土地を引き渡した女性の・・・「今でも帰りたい」という言葉を聞き、政策は人々の人生にまで大きな影響を及ぼすものであることを改めて実感しました。・・・「政策は何のためにあり、誰のためにあるのか」という根本的な視点を常に意識(して、)一つひとつの政策が人々の生活に与える影響を考えながら取り組んでいきたいと思います。
- 「自分事」として復興の歩みを見守り続けること。そして、地域の未来にどう向き合っていくべきかを真摯に考え、この光景を知らない人や次の世代へ伝えていくこと。それこそが、現場に足を運んだ私たちが果たすべき責任なのだと、強く感じています。