東北大学公共政策    

プロジェクトD:福島原子力災害被災地の長期的復興・まちづくり研究


(1)趣旨

私が東北大学に赴任して感心したことの一つに、教職員だけではなく学生も含めた防災・復興への意識・関心の強さがある。それは、もちろん13年前の東日本大震災の経験が大きな理由ではあるが、必ずしも被災経験のないその時小学生くらいであった学生も含めて、東北地方の中心地・仙台の国立大学「東北大学」の一員になったからには、東日本大震災には、なんらかの思いをもっている学生が非常に多いと感じている。 あの日から12年(WS開始当時)、宮城・岩手を中心とする東日本大震災の津波被災地は非常に大きな被害を受けたが、関係者の懸命な努力で復興が進められ、既に復興は「総仕上げ」の段階に入ってはや久しいと言えよう。一方、福島の原子力災害の被災地では、今なお避難指示が継続中で居住や立ち入りが禁止された地域が広く残されているし、2022年8月末に原発事故以降初めて居住ができるようになった双葉町を始め、大熊町、浪江町、富岡町といった福島第一原子力発電所周辺の市町村では、いまだに居住率が2割未満となっているなど、復興はまだまだ道半ばの状態である。12年という歳月が経過してもなお手付かずの課題や、逆に12年たって浮かび上がっている課題、そしてまだこれから顕在化するであろう課題もある一方で、被災者の皆様を始めとして、支援する人々・企業、新たに被災地に入った人々・企業、地元自治体や福島県、国等において復興・再生に向けた様々な取り組みが行われ、復興・再生が進展している部分や、今後の希望が見えてきている部分も数多く見られる。 本ワークショップは、福島県富岡町及び大熊町をフィールドとして、まさに現在進行形の、かつまだ長期にわたり取り組まざるを得ない福島県の原子力災害の被災地・被災者の現状・課題と復興・再生にむけた様々な主体の取り組みやその成果・課題を探るとともに、被災地の特定の地域に焦点を当てて、主にまちづくりの視点からその復興・再生に向けた必要な政策について具体的な提言をまとめていくことを目的として進めていった。 本ワークショップの特徴は、何と言っても現場主義である。受講生たちには、可能な限り現場に足を運び、被災地を自ら歩き、被災者及び被災市町村を始めとする復興に向けて取り組みを進めている様々な関係者の声に耳を傾け、その努力を体感することで、この課題を自分事にしてほしいとの思いで当初ワークショップを進めていった。しかし同時に、政策立案者として、一本一本の木だけではなく森全体を見て、熱いハートと冷静な頭脳をもって、政策を立案することも求められるため、国・県庁のほか、被災地外の乃至外から被災地にやってきた主体等の復興に向けた取組も学ぶプログラムを準備した。 なお、提言先は、富岡町及び大熊町を主としつつ、必ずしも両町に限るものではないとの枠組みでスタートした。なお、最終的には、学生達の検討の結果、両町への提言を基本としつつ、一部に両町に加えて県や町内の関係者といった主体が加わることになった。  

(2) 経過

(ア) 年間の作業経過等

a) 前期

当時の公共政策大学院長であり、行政学、特に行政過程論の大家でもある西岡晋教授、 及び前年度公共政策ワークショップⅠをご担当され福祉や社会保障の分野に精通した実務家教員(厚生労働省)である藤田一郎教授を副担当に迎え、学生10名、うち1名は現役社会人、男性8名女性2名、そして東北大学を卒業した学生と他の土地で大学を卒業し院で初めて仙台に住む学生が交じり合いつつ、学生時代の専攻も様々な多様な学生が集う形でワークショップが始まった。さらに、M2から経験豊富で頼りがいのあるチューター1名も加わり、総勢14名でワークショップがスタートした。ちなみに、最後までこの14名(正確には後述の通り藤田先生と度山先生の入れ替わりがあったが)が1人も欠けることなく完走することができたのは、学生一人一人の頑張りとリーダーを始めとする皆の気配りに基づくチームワークの賜物であったと思う。なお、学生1名のみが福島の中通り出身であったが、残りのメンバーは富岡・大熊両町はおろか原子力災害被災地への訪問経験すらない学生も少なくなく、まさに一からのスタートではあったが、全員公共政策大学院で公共政策ワークショップⅠを履修するという熱意に燃え、自ら本テーマを選んだという点で、やる気に満ちたスタートとなった。 最初に、自己紹介や主担当教員からのワークショップの説明、そして基礎の基礎の簡単な講義だけを早々にすませた後、「現場主義」を実践するため、早くも第3回の授業日(4月25日)には、福島イノベーションコースト構想機構及び(一社)双葉郡地域観光研究協会の皆様のご協力のもと、避難指示が解除されてまだ1年に満たない双葉駅周辺のまち歩きを行うとともに、発災から10年以上自宅を放置せざるを得なかった方からお話を伺った。学生一同、まさにあの時から時が止まったままの街を自らの目で見て、その時のまま長い時間が経過し獣害等で荒れ果てたご自宅に対する思いを直に聞き、これまで考えも気づきもしなかったこの複合災害の大きさと時間の重さを思い知らされた。(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/wsd20230508/)。 その後、基礎知識を習得するため、復興庁福島復興局の荒井局長及び県庁等からご講義を頂くとともに、文献購読を行った。文献としては、「福島復興の到達点(川崎興太)」、「福島復興10年間の検証(川崎興太(編著))」といった研究者等の著述、「大熊町震災記録誌」、「富岡町東日本大震災・原子力災害の記憶と記憶Ⅰ・Ⅱ」といた公式の記録誌、福島復興再生特別措置法に基づく国の「福島復興再生基本方針」、福島県の「第2期福島県復興計画」、「大熊町第二次復興計画改定版」、「富岡町災害復興計画(第2期)後期」といった行政文書等を幅広く輪読した。また、並行して、5月20日(土)~21日(日)の週末を利用して、我々のフィールドである富岡・大熊への初訪問となる春合宿を行った。そして、休日にもかかわらず、大熊町役場及び(一社)とみおかプラスの皆様にお付き合いいただき、まち歩きや町内視察をしながら両町の震災の爪痕や復興への動きを見せていただくとともに、UR、ふたばインフォ、さくらの郷等様々な関係者のお話を伺った。具体的には、大野駅地区で解体されつつある図書館と駅前に広がる更地の姿に息を飲む一方で、大熊インキュベーションセンターの取組に可能性を見出し、また避難指示が解除されたばかりで人影がほとんどない夜ノ森駅東地区で厳しい現実を見せつけられる一方で、海が臨めるワイナリーを目指すワインドメーヌの取組に夢を感じた(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/wsd20230703/)。なお、この様子は、新聞各紙で紹介され、世間の東北大学に対する関心・期待の高さを知ることになった(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/wsd20230516/など)。 ところで、WSDの前期は主に3つのステップで進んでいくことを主担当教員は企図し、計画を実施していった。具体的には、この春合宿を境目に、それまでが基礎知識をつけつつ「自分事化」するフェイズ、春合宿から学生に進行を委ねる6月上旬までが現状の政策を理解し取り組みたい分野を特定し課題を抽出するフェイズ、そしてそれ以降が中間報告会にも向けて政策提言の方向性をWSとしてまとめるフェイズであった。 第2フェイズでは、第6回(5月23日)及び第7回(5月30日)と2週連続で浜通りに通い、山本富岡町長及び新保大熊町副町長をはじめ、両町役場の関係課の皆様に両町の現状と課題についてご講義いただくとともに、並行して前述の文献調査の他、過去の公共政策ワークショップⅠの中間報告会や最終報告会の動画や最終報告書の輪読等も行っていった。 ここまでは、主に主担当教員が授業内容を企画し、訪問先のアポイントや行程もおおむね準備し、容赦ない宿題も課していった。しかし、6月当初から徐々に学生に授業の主導権を移行し、第9回(6月中旬)にはほぼ学生が主導して授業を行う体制が確立した。並行して、第2フェイズの最後あたりから、中間報告会に向けて、各自の関心分野や課題を出し合っていった。この間も、福島イノベーションコースト構想の主要な取組である福島ロボットテストフィールドの視察や内閣府からの講義、主担当教員のまちづくりに関する講義等周辺の知識の取り込みも行いつつ、並行して中間報告会に向け、各人の政策提言の分野と内容(タマ)の特定、グルーピング等の議論が行われていった。本研究を進める中で、大熊町及び富岡町の復興・再生に向けての課題は非常に幅広く、また「まちづくり」という言葉が広範な施策を含みうるという事情から、非常に広い守備範囲を持つ研究内容になっていった。そんな中で、第3フェイズに大きな議論が行われたのは主に3点であった。1点目は、中間報告会の構造、2点目は各人の政策提言分野の分野分け(≒班分け)、3点目は各分野の施策が目指すべき「大目標」の設定であった。1点目については、総論・各論(3分野)、まとめという大きな構造の他、各論のスライドの形を「現状・課題」、「現行の施策」、「目指す姿」、「提言の方向性」という形を全員で統一した。これはWSDの中間報告の大きな特徴となった。2点目については、この時点では「くらし」、「しごと」、「にぎわい・つながり」という3分野3班構成とすることになった。なお、ほどなくして3つの班にリーダー・サブリーダー(2名)をそれぞれ配し、リーダー・サブリーダーで執行部を形成しロジ・サブ両面でリードしていくという体制を自分たちで編み出したのは秀逸であった。3つ目については、一部の学生の熱い思いに皆が共感して「誇り」を大目標の中心に据えたものの、「誇り」そのものの意味・内容や測り方に加え、トップダウン型の大目標と非常に広い各論との間で、非常に苦しむことになった。具体的には、例えば、「誇り」は取り戻すものなのか作り出すこともあるのか、新しく作り出すことは町民の誇りの回復に本当に資するのか、そもそも誇りを感じる町民とは誰なのか、そして個別施策は本当に「誇り」のために実施される(べき)ものなのかなど、議論は尽きなかった。  

b) 中間報告会

中間報告会では、上記の構造のもと、早い段階からスライドの作成に取り掛かり、中間報告会一週間前に第1回リハーサルを行うという主担当教員の高い要求にしっかりと応えた。一方で、大目標の議論は継続して行われていたが、時間の制約もある中で、「誇りある「まち」にする」という形で中間報告会に向けては一旦決着となった。最初のリハーサルの後の1週間で、内容のブラッシュアップとともに、統一的なレイアウトや写真の活用等による見やすさ・わかり易さの工夫、言葉のわかり易さや話し方、時間等の形式面でのブラッシュアップを行っていった。さらには、担当教員やM2チューターからの容赦ない模擬質問という千本ノックをこなしつつ、隊長(リーダー)の下かっちりとした中間報告会の準備がWS室で進められていった。 最終的には、大ヒット特撮映画シンゴ〇ラを彷彿とさせるモノトーンを中心とした68枚のスライドが用意され、各自緊張した面持ちで当日の対面での報告と質疑応答に臨んだ。報告会では、長期にわたって避難を余儀なくされた被災者の長年にわたる思いを代表したような質問から、日本全国の過疎地との差異を問う客観的な質問まで、幅広く厳しい質問に直面したが、事前準備と度胸と結束で何とか中間報告会という難局を乗り越えることができた。  

c) 夏季

夏季のメインイベントは、8月26日~29日の3泊4日で大熊町・富岡町で行われた夏合宿であった。この夏合宿は行程や宿泊などのロジ面は全て学生が企画したし、(施設モノ等の視察先を除く)ヒアリングも学生たちがアポ取りも行った。この合宿の企画や現地で実際に過ごす中で、浜通り地区の公共交通機関や飲食、物販などの生活面での不便さを肌で実感することになった(ロジ担当の学生は相当に苦労した)。また、夏休みでコミュニケーションが難しい中で、当方から質問を送って当日に回答をもらうという本来的な形式のヒアリングに本格的に取り組むことになったため、課題探し、仮説探し等意図を持った質問をすべきという主担当教員の意図を汲み、しかも全学生が何らかの課題や施策の方向性を発見できるための質問づくりに、相当の時間と苦労を要することになった。 合宿本番は、ロジ面での小さなトラブルはあったものの、結果的には大成功と言えるものであった、具体的には、福島原子力災害の元凶の地である福島第一原子力発電所や、大熊・双葉両町で町民が実際に生活していた地につくられた広大な中間貯蔵施設を視察し、改めてこの災害の深刻さを理解させられることになった。また、両町で実際に3日間生活し、生活者目線も得ることができた。さらに、この機会にいわきの復興公営住宅まで遠征し、いまなお浜通りから離れて暮らす主に高齢の皆さんの思いを直接にお聞きした。加えて、班に分かれて、大熊町役場の各課やおおくままちづくり公社、富岡川漁協などに精力的にヒアリングをこなしていった。なお、夏合宿は厚生労働省に帰任した藤田一郎元教授にも一部行程にご参加いただき、実質的な送別の場にもなった。 その後も、一部のヒアリングは夏季に行われた。  

d) 後期(年内)

後期は、帰任した藤田一郎教授の後任として着任した度山徹教授(厚生労働省)を新たに副担当に迎え、活動がスタートした。後期は、前期で各自が特定した分野と課題、施策の方向性を深堀りし、具体的な施策タマを作り上げ、磨き上げていくという過程であったが、後講釈としては各受講生がゴールをイメージすることが必ずしも十分にできてなかったこともあり、具体的な作業イメージが沸かない学生が少なからず見られた。そして、現行施策と先進事例を中心にヒアリングをしないと施策タマの具体化ができないという担当教員の指導の意味を必ずしも十分に理解できない学生が少なくない中で、班別のヒアリングの企画のペースは非常のゆっくりであった。このような今一つエンジンがかからない状況を危惧した主担当教員は、この季節限定の伝統行事であり、東北大学卒業のための必修単位の一つである芋煮会を企画したものの、前後してアクシデントでリーダーが長期離脱するというニュースが入り、受講生たちに大きな衝撃を与えた。しかしながら、芋煮会は東北大学体育会出身学生を中心とした見事な手際で成功裏に終わり、またWS本体も彗星のごとく現れたリーダー代行が見事な手腕で受講生をまとめ上げ事なきを得ることができた。 10月は、芋煮会の他、夏休み中にできなかった富岡町役場と県庁に対し、課題の特定と現行施策の確認のためのヒアリングを行うことがメインとなった。この時期になると、春の段階ではまだ具体化できていなかった疑問点や確認したい事項などが各受講生から個別に上がるようになり、結果として両町役場及び県庁には、それぞれ10前後の課にヒアリングをお願いすることになり、班別に時間割方式でヒアリングをこなしていくことになった。なお、このアレンジは、学生たちの素朴な疑問に、両町役場及び県庁の窓口担当課驚異的なリーダーシップでこたえていただく形で実現することができた。 11月は、主に先進事例の(一部は両町で提言する施策に関わる民間等の)関係者のヒアリングに充てられた。先進事例は、宮崎県日向市、高知県四万十町や島根県益田市といった遠方へのヒアリングも少なくなく、また㈱グランドレベル等の民間企業へのヒアリングも行われた。先進事例のヒアリングは、ほとんどがコネクションもなく、学生たちが正面からメールや直電などでアポイントをお願いしたが、ほぼ承諾を頂きヒアリングを行うことができた。これは、学生たちの頑張りによるところも大きいが、ヒアリングに応じていただいた皆様のご厚意によるところが大きく、この場を借りて改めて感謝の意を伝えたい。なお、これらのヒアリングは、ほぼオンラインで行われた。事例を直接見ることができないというデメリットはあるものの、コロナ禍を経て発達したリモート会議の威力の大きさを改めて感じることとなった。なお、本来であればこの時期に東京・霞が関へのヒアリングを行うのが通例ではあるが、学生たちの関心が主にローカルな事案に向かっていたこと、財政面での制約があったこと、及び福島復興局長に対面で指導いただく機会があったことなどから、オンラインで、かつヒアリングではなく個別タマへの指導という形で復興庁(本庁原子力災害班)とのミーティングが実施された。なお、先進事例等のヒアリングは、一部12月に入っても行われた。 11月下旬、受講生により施策のタマの方向性や具体のタマ磨きの深度はばらばらであったが、ここで主担当教員が驚愕の指摘をし、学生たちは衝撃を受けることになった。それは、このままでは個別研究の寄せ集めになってしまうので、全員が一つの研究をしている意味を持たせること、このために各タマの連携や「政策」としてのストーリーを考えるようにという指導であった。ここで、学生たちは喧々諤々議論をし、WSDの思う「復興」は「来てもらう」「住んでもらう」「活躍してもらう」「愛してもらう」の4つの局面からなると整理し、各論とは別に、当初は個別タマの連携施策を位置づけていった。 なお、前期にさんざん議論された「大目標」の議論は、後期はあまり行われなかった。その理由を学生たちと明示的に議論したことはあまりなかったが、各学生の個別タマの磨き上げがしっかり行われる中で、トップダウン型でワンイシューを達成することで復興がなしとげられるのではなく、個別タマの集積が復興というボトムアップ型へ意識が変化していったこと、そして上記の一つの研究としてまとめ上げていく過程の中で、WSDの考える復興を「まちが活性化する、人々がまちに愛着をもつ」というボトムアップ型で表すことができたことが理由ではないかと推測している。そして、「誇り」という言葉は、この「愛着」、あるいは「愛する」を中心として、「来てもらう」「住んでもらう」「活躍してもらう」に昇華していったと考えている。  

e) 最終報告会

最終報告会では、「はじめに」、「第1章総論」、「第2章各論」、「第3章政策提言」、「 おわりに」の5部構成で発表が行われた。「第2章各論」は、前期では3分野別となっていたが、後期は最終的に「ひと・くらし」、「しごと」、「にぎわい」、「つながり」の4分野に再編された。蛇足だが、この「つながり」が独立したのも、もしかすると発展的解消された「誇り」の発展先の一つではないかと思料している。「第3章政策提言」は、上記の通りWSDの考える復興を示した後、「来てもらう」「住んでもらう」「活躍してもらう」「愛してもらう」の4局面に、個別タマの連携施策のみではなく、個別タマ自体もこの4つに改めて整理された。前後するが、最終報告会後も、この整理の過程でタマが膨らんだり、連携タマが増えたりという好循環も生み出されていった。このように、主担当教員が、(学生たちにとっては最終報告会直前に突然に)これまで考えていた提言(個別タマ)はあくまで政策提言のパーツ(施策タマ)であり、真の「政策提言」を考えよという無理難題に、しっかりと答えることができたのは、賞賛に値しよう。ただ、何分にもこの動きが11月も終わりのころから始まったことから、若干の検討不足感があることは否めない。もしもう少し早い段階からこの動きがあれば、もっと充実した「政策提言」がまとまっていたかもしれない。 最終報告会当日には、本来であれば、これまで本学にお越しいただくなど何度も暖かいご指導を頂き、本学で実務家教員も務められた復興庁福島復興局の荒井局長にお越しいただく予定であったが、公務の都合で同局の樋本次長にお越しいただいた。樋本次長からは、第3章、特に「愛してもらう」等にお褒めの言葉をいただくとともに、これからも大熊・富岡を定点観測するように暖かく厳しく関わってほしい等のお言葉を頂戴した。  

f) 後期(年明け以降)

最終報告会後、冬休みも全く休むことなく、最終報告書の執筆が進められていった。冬休みから年明けにかけて、これまでなんとなく書いてきた「目指すべき姿」や「課題」の根拠、それらと「提言の必要性」や「施策の提言」との論理的つながりなど、論理的な文章の構築に向けて、主担当教員が容赦ない指導を行った。また、これまで別々の学生が執筆してきた報告書について、総論と各論の役割分担や論理的つながり、各論間の連携や引用、書き方の平仄等についても、細かく指導が入った。学生たちは、書くにあたり、最終報告会同様に各論の節立てに明確なルールを設け、WS等で議論しながら書きぶりも統一していった。また、用語の使い方、図表や脚注、引用文献の書き方等のルールも自主的に決められた。一方、並行してヒアリング記録を整理し、ヒアリング先への照会・確認を進め、最終報告書に掲載できるようにした。報告書全体を見まわし整合性をとる作業や、形式を整える作業はなかなかに大変だったが、学生は精力的に進め、期限前に提出を完了させることができた。最後に、校正を行って、印刷にこぎつけた。 最終原稿の完成後、2月19日~20日に、大熊町及び富岡町で現地報告会を行った。そこで、1年間WSを導いたリーダーから吉田大熊町長及び山本富岡町長に報告書を手渡すとともに、報告会と同様の形式で報告を行った。そこには、両町の役場の窓口課のみではなく、関係各課からたくさんの職員にお越しいただいたうえ、両町の役場外の様々な関係者にもお越しいただいた。そして、両町長からは過分のお褒めを頂く一方で、職員の皆様からは学生がたじろぐような本気のご質問もいただき、1時間半から2時間の長丁場にもかかわらず、ほとんどの方に最後までご参加いただいた。その様子は、数多くのテレビ・新聞で報道された(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/wsd20240221-press/) 本ワークショップは、大熊及び富岡の皆様をはじめとする様々な皆様のご協力・ご厚意により成立させることができた。とりわけ、両町の役場の皆様の力抜きでは、本ワークショップは根本から成立していなかったと言っても過言ではない。両町長をはじめ、副町長、企画課・企画調整課、総務課、産業課・産業振興課、生活支援課、ゼロカーボン推進課、生涯学習課、住民課、教育総務課、福祉課、健康づくり課等関係各課の皆様による御講義、ヒアリング等へのご協力やヒアリング先のご紹介に心より御礼を申し上げたい。またこのワークショップのきっかけを作っていただいた福島県庁をはじめ、復興庁・福島復興局、環境省、東北農政局、大熊インキュベーションセンター、大熊まちづくり公社、大熊るるるん電力、とみおかプラス、とみおかワインドメーヌ、㈱ふたば、ふたばインフォ、富岡3.11を語る会、さくらの郷、富岡川漁協、イノベーションコースト構想機構、下神白団地の皆様、UR、東京電力等など官民の皆様のご協力に、心より感謝申し上げる。  

(イ) ワークショップの進め方

原則として、毎週火曜日の3限から5限にワークショップを実施した。それ以外の時間にも必要に応じて自主ゼミが実施されることが普通であるが、本WSのメンバーは、人数がそもそも多いうえ、仕事、就活、バイト、部活等が多忙であり、全員集まっての自主ゼミの開催は少なかったようである。さらに、リーダー中心に効率的な時間の使い方を指向する傾向があり、自主ゼミも短時間で行われていた模様である(ちなみに自主ゼミに教員が参加することはほとんど無かった)。中間報告会や最終報告会、最終報告書執筆時などには、情報共有のための短時間の全員そろっての自主ゼミは開催されていたようであるが、全員の自主ゼミとは別に、様々な枠組みで検討や調整が行われたようである。特に、最終報告会準備や最終報告書執筆の場面では、分野別の各論4班の他、「来てもらう」「住んでもらう」「活躍してもらう」「愛してもらう」の政策提言4局面のグループや、報告会スライドや報告書の総論部分の章別のグループ等、メンバーの異なる様々なグループができ、検討や調整が行われていた。 本ワークショップのメンバーは、体育会系ないし格闘技等のスポーツに関心が強い、情熱的で議論に臆することなく屈強な男子が比較的多い一方で、それとは一線を画したそれぞれの個性を持った学生たちに分類されたかもしれない。WS開始当初、ワークショップ内での人間関係は難しくなっていく場合も少なくないという話を聞きながら、学生たちは皆そうならないように気を付けつつ、仲良い中でも時には節度を持って、お互いを気遣いながらワンチームとして完走できた。WS終了後にどの学生に聞いても、人間関係はよかったという言葉しか出てこなかったことは、特筆に値すると言えよう。学生の皆様にこの紙面を借りてあらためて感謝を申し上げる。 本ワークショップの特徴は、①第一の提言先を予め決めていたこと・言い換えればクライアントが最初から存在していた一方で、②復興まちづくりというテーマが広範だったこともあり、個人の関心分野の範囲が広く、ややもすると個人研究の寄せ集めになってしまう危機もあった。このため、前述のとおり一つの研究にすべく最終報告会が迫った時期に軌道修正を図ったが、最初からもう少し工夫の余地はあったのかもしれない。また、WS開始当初に被災地・被災者を自分事化することに始まり(この部分は成功と自負しているが)、課題探し→提言(施策タマ)探しと進んできたが、10月から11月ごろにかけて、施策のタマ探し・タマ磨きに集中するあまり、課題との乖離が生じてしまうことが一部に見られた。これを、報告書執筆段階になって初めて気づいたという学生も少なくなく、前術の課題の根拠などと合わせ、ゴールの姿と、背景・課題から提言・事例までを論理的につなげるロジカルシンキングをもっと早い時期から意識させるべきであったと反省している。また、施策のタマ探し・タマ磨きが進まない中ややもすると先進事例探し・ヒアリングを強要してしまった可能性があり、その結果学生たちが必ずしも論理的な検討なく特定の事例を持ってきてしまったとすれば、この点も反省点である。とはいえ、どこでも通用する提言はよい提言ではないという思考は学生たちに浸透したと考えており、すべての学生が大熊・富岡の置かれた状況を踏まえ大熊・富岡固有の資源・組織等を念頭に提言を検討できていたことは、素晴らしかったと言えよう。さらに、中間報告の段階では、周辺の被災地域の復興への貢献や将来起こるかもしれない同様の未曾有の災害のより良き復興への寄与という野心的な記述を本WSの意義の一つとして掲げていた。しかしながら、これらについては、限られた時間の中でたどり着くには道のりは遠かったと言わざるを得ない。今後の公共政策ワークショップⅠに、期待を込めて申し送らせていただきたい。 また、前期5月までは主担当教員が講義やまち歩き、現地調査、文献購読の宿題などを完全におぜん立てしたが、6月初めから徐々に学生に主導権を移し、6月下旬に中間報告の検討が本格化した以降は、ヒアリング先の選定、アポイント、夏合宿、中間・最終報告会のスライド作りや発表内容、報告書執筆等、ほぼ学生が主体的に運営していった。特に、最終報告書の執筆以降も、担当教員から何の示唆もしなくとも、2月の現地報告会までさらにブラッシュアップを自主的に重ねていったことは、学生たちが本当の意味で自主性を身に着けた証左なかもしれない。  

(3) 成果

(ア) 最終報告書

最終報告書の本体は、「はじめに」と「おわりに」、及び第1部「総論」と第2部「各論」、第3部「政策提言」からなっている(このほかに、概要やヒアリング報告書等の参考資料がある)。以下、最終報告書の冒頭に記載されている「概要」の転載という形で、報告書の全体像を記載する。 『我々東北大学公共政策大学院「公共政策ワークショップⅠ2023プロジェクトD(以下「WSD」という。)」は、2023年4月より、「福島原子力災害被災地の長期的復興・まちづくり研究」を開始した。本研究は、原子力災害の被災地である福島県双葉郡富岡町及び大熊町の同災害からの復興に資するため、復興・まちづくりに関する政策を提言することを目的としている。 本報告書は大きく分けて第1部「総論」と第2部「各論」、第3部「政策提言」の3部構成となっている。第1部「総論」においては、まず、我々の研究の意義・目的、用語の説明、研究手法を示した。次に、国や福島県が原子力被災地の復興に対してどのような考え・法制度の下、取組んでいるかを示した。続いて、我々が提言先とした福島県双葉郡富岡町及び大熊町について概要を述べた上で、なぜ両町を提言先としたのか理由を示した。最後に、我々の考える各施策の位置づけについて述べた。 第2部「各論」においては、福島県や町の現行の復興計画などを参考に、「くらし」「しごと」「にぎわい」「つながり」という4つの側面から、両町における課題の解決にアプローチした。第1章「くらし」分野では、「空き家を活用した戸建賃貸住宅の供給」「体験移住」「親子ワーケーション」の3つの提言を行った。第2章「しごと」分野では「農業の大規模化」「農業の高付加価値化」「再生可能エネルギーを強みとした企業誘致」の3つの提言を行った。第3章「にぎわい」分野では「商業施設の充実化」「広域路線バス」「サイクルツーリズム」「サケ漁の観光資源化」の4つの提言を行った。第4章「つながり」分野では「失われたコミュニティの創出」「避難住民と協働のまちづくり」「まちへの愛着を育む教育」の4つの提言を行った。 また研究を進めていく中で、WSDは、両町の復興を前進させるためには、これら施策を効果的に連携させた「復興まちづくり政策」を取りまとめることが不可欠であると考えた。そこで第3部「政策提言」においては、まずWSDが考える復興の定義を、「まちが活性化する」ことと、「人々がまちに愛着をもつ」こととした。さらに両町がそこに至るための過程として、人々に町に「来てもらうこと」、「関わり・住んでもらうこと」、人々に町で「活躍してもらうこと」、そして町を「愛してもらうこと」の4つの段階を経ることを示した。そして、その各過程において実施すべき4つの政策を示した。 これら政策提言が、両町を想い、かつ両町に関わる方々にとっての一助となり、さらには両町の復興を一歩でも前に進めるための推進力となることを願う。』 最終報告書は、結果的に、上限である350頁にギリギリ収まる大作となった。もちろん半分以上はヒアリング報告書が占めているし、人数も多いことがこのページ数になった理由であろう。しかし、それでも、学生たちが真剣に考え、検討を重ねた成果がこのページ数である。350頁という上限に収めるために、文字の大きさを小さくするなど、細かな工夫まで重ねてきた。報告書執筆に費やした彼らの努力を誉めてあげたい。 大熊・富岡両町からは、関係各課への配布用に、相当部数の印刷版を欲していただいた。また、それ以外にも、様々な団体・機関に電子版で配布をさせていただいた。このように欲していただけること自体が、本WSの一つの成果であろう。  

(イ) ワークショップを通じた能力育成

(少し欲張って前節で書いてしまったが)、丁寧なヒアリングや現地調査とデータや文献から課題を探し、その課題解決に資する施策を考え、先進事例等から提案施策の実効性を根拠づけるという論理的な思考過程は、報告書の執筆を始めとする一年間のワークショップで、学生たちには一定程度身に着けることができたであろう。例えば、「復興とは何か」というWS開始直後の主担当教員からの問いかけを1年間考え続け、最終報告会が迫る中で急遽降って来たピンチに対して、WSDの考える復興という形を出すことで切り抜けたあたりに、学生たちの成長の成果を感じることができた。 また、一年間の研究活動や共同作業を通じて、交渉力やスケジュール管理能力・ビジネスマナーといった社会人としての基礎スキルや、問題発見能力、調査・企画能力、データの収集・分析能力、プレゼンテーション能力、文章力、集団作業能力、表出された施策や課題の背景にある問題やそれらの施策がとられた理由を掘り下げて考える力等、様々な能力が学生達に身についていった。 また、リーダー、サブリーダー、報告書・スライド担当、ロジ担当、会計担当、懇親会担当といった担当は、5月に決めて以降一度も変更がなかった。これは、だれも変更する必要性を感じていなかったからに他ならない。すべての担当が、活躍する場所は違いながら、誰かがどこかで必ず活躍した。担当の学生は自分の担当と思える仕事を率先して引き受け、他学生もその学生を信頼して任せる。そんな関係が自然とできていた。また、前述のリーダー不在時を始めとして、何か問題があればしっかりとカバーができていた。これも本WSの成果であろう。 さらに、河北新報の記者には、本ワークショップの趣旨にご賛同いただき、記事という形で応援して頂いた(上記の記事の他、https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/pubpol-ws20230720/https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2023/news_ws20230808/等)。これらの記事からも、学生たちが真摯に取り組む姿をうかがい知ることができる。 また、もう一つの大きな成果は、学生たちがWS全体行事のみではなく、班別行動やプライベートも含めて精力的に何度も大熊・富岡に通う中で、地域や住民の課題を自分事化し、最終報告書にあるように「富岡や大熊、ひいては福島に対して愛着を感じている自分たちの思いに気づ」いたことであろう。学生たちがそのように思うようになった大きな要因としては、大熊・富岡両町の皆様が、WSDの学生たちの思いを正面から受け止め、多忙な被災地におられるにもかかわらずヒアリングを始めとする様々な手間を笑顔で引き受けていただいたことがある。その結果として、我々WSDのメンバーと大熊・富岡の皆様との間には、絆が生まれたと言えよう。現地報告会の日の夜の懇親会は、それを気付かせてくれる、とても心地の良い時間であった。きっと学生のみんなは、これから社会に羽ばたいていく中でも、自分たちが気付いた愛着や、大熊・富岡の皆さんとの絆を心の中で大切にし、両町に思いをはせ、きっと何かの時には応援したり、交流したりしながら両町に関わり続けてくれると信じている。

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