東北大学公共政策    

プロジェクトD:福島原子力災害被災地の長期的復興・まちづくり研究 ― 南相馬市小高区をフィールドとして ―


(1)趣旨

東日本大震災から13 年(WS 開始時点)が経過してもなお、福島には未だ避難指示が継続されている地域もあるなど、復興は「現在進行形」である。福島浜通り地域は、長期避難からの復興、分断、超人口減少等々様々な課題が山積している。本ワークショップは、この世界に類を見ない課題先進地「FUKUSHIMA」をフィールドとして、1年間活動した。

具体的には、南相馬市小高区をフィールドに設定した。南相馬市は相双地域最大の人口と面積を持ち、浜通り地域北部の拠点的機能を持つ地域である。同市は大きく、北から鹿島区、原町区、小高区に分かれるが、小高区には震災直後に避難指示が出され、2016 年に解除されるまで居住人口はゼロであった。一方、原町区を中心に緊急時避難準備区域等の地域に指定される一方、鹿島区を中心にそれらに指定されなかった地域もあった。それぞれの地域には、避難・避難者の受け入れ等それぞれの苦労があり、また賠償等も異なる等、複雑な様相を呈している。2023 年末現在、小高区では住民登録世帯に対する同区居住者数の割合は6割程度となっており、10 割程度となっている他の二区とは異なっている。一方で、南相馬では、イノベーションコースト構想や移住促進を始め様々なプロジェトが行われており、市外からの移住者や企業の立地が進んでいる。さらには、小高区には社会的企業を目指す若者を支援するOWB等もあり、チャレンジできる街との評判も立ち始めている。また、小高は、昨年度のワークショップD がフィールドとしたまさに復興が始まったばかりの大熊町等とは異なり、避難指示が解除され8 年が経過し、ハード事業や住民の帰還が一段落する中、復興に向けて遮二無二取り組む時期が過ぎた、踊り場ともいえる状況を迎えている点が大きく異なっている。

本ワークショップは、小高区をフィールドとして、現在進行形かつ長期にわたり取り組まざるを得ない福島原子力災害の被災地・被災者の現状と課題をつぶさに探り、現在行われている施策・取組を前提としつ、主にまちづくりの視点から未来に向けた小高の復興のための政策について具体的な提言をまとめていくことを目的としている。

本ワークショップの特徴は、何と言っても現場主義である。4月の双葉町歩きに始まり、春合宿、夏合宿、その他現地訪問を重ね、小高の街を自ら歩き、政策の企画立案の現場としての南相馬市役所のみならず、区役所や包括支援センターや商工会議所といった最前線の関係機関、更には政策の対象であり本当の現場である小高の住民や事業者等に対して直接お話を聞いて課題を抽出した。しかし、一本の木にのみ着目するのではなく、その後、国や県等の広域機関も含めたヒアリングや文献調査により現行施策を丁寧に調査したり、先進事例に加えて学術文献やデータ等を用いて提言する政策を固めていったりする過程で、広い森を見るように心掛けた。

なお、活動当初は小高をメインフィールドと想定していたが、学生たちが小高を自分事化する過程で愛着がわき、検討の結果小高のみをフィールドとし、提言先もほぼ南相馬市となった。

一口に福島原子力災害の被災者といっても、原子力災害の被災状況によって多様であり、どこに住んでいたかを始め、帰還した者、避難を継続している者、さらには年齢や家族、生業等により被 災者はさまざまである。加えて、被災地には、移住者や支援者、企業等様々な者も入ってきており、目指す復興の姿は一様ではない。そのような中、「復興」とは何か、復興とは誰のために何を目指してどのような何をすることなのかについて、受講生と教員がともに悩みながらも、批判や検証といった過去への視点ではく、未来に向かって、復興を一歩でも先に進める現実的な政策を提言することを目指して活動した。

なお、本プロジェクトは、福島国際研究教育機構より受託した「福島浜通り地域における復興・再生まちづくり研究」の人材育成プログラムにも位置づけられている。

(2) 経過

(ア) 年間の作業経過等

a)前期

4 月1 日のオリエンテーションを経て、年齢、性別、国籍や出身、職歴、大学時代の専門等多様な8 人が集い、こちらも年齢や性別・専門の異なる担当教員3名に、昨年度のワークショップで福島を研究した2名のチューター(M2)を加え、総勢13 名でワークショップをスタートした。チーム内には大きな諍いやトラブルもなく、熱心な議論と適度な笑いに包まれ、全員が完走することができた。後から振り返っても、非常によいチームだったと総括することができよう。

4 月には早速、福島第一原発があり避難指示解除が最も遅かった双葉町を訪問し、住民のお話しを聞くとともにまち歩きを行なった。自らの足で歩き、直接お話を聞くこの機会を、学生たちは「今の被災地を「自分事」として捉え、何とかして貢献したいという思いをメンバー全員で共有する貴重な経験」と表現している(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd_1st_report_20240423/)。

5 月には、復興庁福島復興局長及び県庁職員の皆様に本学までご足労いただき、政策の立案・実施者の立場から浜通り全体の復興についてご講義を頂いた。その後、我々のフィールドである小高で一泊二日のフィールドワークを行った。そこでは、休日出勤で市役所職員等にご対応いただき、南相馬の被災の跡や復興の様子、地域の資源をご案内いただいたり、小高の町を歩きながら住民や事業者のお話を伺ったり、行政区長や移住者や起業者、宿のおかみといった方々から話を伺ったりと、様々な面から小高の調査を進めた(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd-second-report-20240613/)。なお、その様子は、テレビュー福島で放送された(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd-news-tuf-20240528/)。

その後、南相馬のロボットテストフィールドや製造事業者、農業法人等の現場を訪問しお話を伺った。並行して、国、県、南相馬市の各復興計画や学術文献、過去のワークショップ報告書等の輪読も進めた。

6月に入ると、ワークショップの運営は教員主導から学生主導に徐々に移行し、また興味分野の特定から課題探しが徐々に進められていった。また、トップダウン型かボトムアップ型かという議論を経て、全員での大議論によりWSD 全体を貫く「選ばれる小高づくり」という大目標が決まった。また、最後まで不変であった「ひと」「くらし」「しごと」の3班構成もこの時期に固まった。

7月は、中間報告に向けて課題の特定やその根拠、政策の方向性といったサブをつめつつ、並行してスライドや読み上げ原稿等の作成、リハーサル等が進められていった。

b)中間報告会

本体83 枚に加え、59 枚もの参考スライドと、時間をしっかりと測った読み上げ原稿を準備し、初めての発表である中間報告会に臨んだ。スライドでは、フィールドの説明、研究の意義、目的、現在の取組のレビュー、前期の活動報告といった前段と、大目標と各論部分の導入に当たる分野分け、そしてそれぞれの根拠という総論をしっかりと説明した後に、各人の担当する各論に入るという構成がしっかりと組み立てられた。さらに各論部分も、3つの分野毎に全体像を見せた後、個別項目で現状、困りごと、現行施策とその課題、目指す姿、政策提言の方向性という形式を統一して非常に統制の取れたわかりやすいものとなった。また、発表時間はその場で測りながら後の発表者が調整を加えたり、質問もリアルタイムで共有したりといった工夫もこらされた。緊張した中でも、質疑応答も含め危なげなく中間報告を終えることができた。

c)夏季

前期最後のWS で、中間報告会の振り返りと、夏休み中の報告書の分担執筆、そして夏合宿と後期のヒアリング先の抽出といった宿題を学生主導で決めて、夏季休暇に入った。しかしながら、夏季休暇中も、夏合宿のヒアリングのアポイントメント、ヒアリング記録の作成、報告書の執筆等をこなし、その確認のための自主ゼミも何度か開催される等、完全な休暇とは程遠い夏休みとなった。

8 月19 日からは、3泊4 日で夏合宿を行った。各自が自らの関心でヒアリング先にアポをとり、レンタカーをフル活用した班別の行動も多かった。その合間を縫って、この災害の元凶である福島第一原子力発電所や、中間貯蔵施設等の視察も行った。また、夏合宿の締めくくりとして、本プロジェクトの一部資金の提供先でもある福島国際研究教育機構を訪問し、役員の前でプレゼンを行い、「今後の研究の糧となるご指導(学生談)」を頂くなど、最後まで気の抜けない非常に濃い合宿であった(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd-third-report-20240905/)。

なお、夏合宿の様子は、朝日新聞(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd-news-20241009/)と河北新報(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/wsd-news-20240907/)において丁寧な報道が行われた。

d)後期(年内)

副担当に環境省から永島先生が新たに加わり、後期がスタートした。まずは中間報告会や夏合宿等での学習を踏まえ検討の深化を行い、その結果この時期に課題や分野・提言の方向性の見直した学生も少なくはなかった。一方で、後期の主眼はまさに「提言(=仮説)」の作成であった。そこでは、5W2H を意識し、誰が、誰に対して施策を行うのか、なぜその施策が必要なのか、その財源はどうするのか等、提言の具体化進めていった。また、頭でっかちで現実性のない施策とならないよう、各論の政策ダマ一つ一つについて先行事例の調査やヒアリングを行った。その最たるものが、11 月に行われた北海道遠征での大樹町や北海道機械工業会へのヒアリングであった。北海道の小さな町が、長期間にわたり「宇宙」を掲げまちづくりに取り組む様子は、我々の提言の方向が間違っていないという自信につながるとともに、ビジョン、共同受注体といった個別の政策ダマがここから生み出された。さらに、制度を所管する国や南相馬市の関係部局へのヒアリングや、現実性を探るべく現地の政策実施機関等へのヒアリングも進めた。一方で、単なる先進事例のコピペに留まらず、表紙だけつけかえれば他の自治体に持って行ける提言にならないよう、小高に特徴的な課題について、小高で現にある資源(組織、人、施設等)を用いた政策提言とするよう腐心した。そして、教員との壁打ちを繰り返し、打たれながら提言も学生も鍛えられていった。

一方で、厳しい中のひとときのリフレッシュとして、10 月には東北大学の必修科目である芋煮が広瀬川河川敷で行われ、全員が無事卒業資格を取得した。

また、提言が実際の現場からどのように見えるのか、実現性や実効性等を検証すべく、11 月末には、公共政策大学院OB である南相馬市職員や、相双機構の若手職員に本学までご足労頂き、壁打ちをしていただいた。

e)最終報告会

提言先である南相馬市長をコメンテーターとしてお招きし、緊張の中最終報告会が開催された。最終報告会では、中間報告会同様全体を通じた構成がしっかりと練られ、かつ統一された様式で資料が作成された。また、シラバスにも記載されていた「復興とは何か」についてWS 内でも活発な議論が行われ、WSD の「復興感」を明確にスライドに表した。また、個別研究の寄せ集めではなく「一つの研究」という合言葉のもと、個別の提言がどのように大目標「選ばれる小高」の達成に貢献するのか、個別施策のロードマップ、そして施策同士の相乗効果の3点もプレゼンに加えられた。この「一つの研究」という共通意識が見事に体現されたのは、質疑応答であった。全員が全体を「自分の提言」と自覚し、他のメンバーが執筆した提言もしっかりと理解し、難しい学生や教員たちの質問に対し、1名が回答した後も、補足の回答が積み重ねられていく姿は、担当教員としても感無量であった(ただしその結果時間が食われて質問数が減るという弊害はあったが…)。

最後の南相馬市門馬市長からの講評では、「完成度が高い」、最終報告会での質疑応答といった「やりとり一つ一つが復興に大切」で、「住民のことを思ってくれている」とご評価を頂いた上に、個別の提言一つ一つにも丁寧なコメントを頂いた。この瞬間、一年間の努力が認めてもらえたと、WS メンバーの全員が達成感と安堵に包まれた。

なお、最終報告会の様子は、朝日新聞(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/ws1-final-report-press-20241218/)及び河北新報(https://www.publicpolicy.law.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter2024/ws1-final-report-press-20241225/)において詳細に掲載された。

f)後期(年明け以降)

最終報告会から1週間の短い休息を得て、年末から最後の山場となる報告書の執筆が始まった。各自が担当する各論のみならす、全体をわかっていないと書けない総論も全員で分担し、WS 室にこもり議論と作業をくりかえし、担当教員からの容赦ないコメントに対し悪戦苦闘しつつ、膨大な報告書の平仄揃えや誤字脱字チェックといった地道な作業もこなし、〆切前日に報告書を提出するという離れ業を成し遂げた。

2月上旬には、フィールドである小高区で現地報告会を行った。そこには、お世話になった南相馬市役所の皆様やヒアリング先等の関係者、そして市民の皆様等約40 名もの方々にお越しいただいた。市長に報告書を直接手交するとともに、質問も多く、時間を延長することとなり、一年間の研究が少しでも小高の復興に役に立ったのではないかとの実感を抱くことができた。

また、門馬市長の「学生が小高で活動する姿を子供たちに見せてほしい」というお言葉を踏まえ、原町高校を訪問し、研究成果のみならず研究の方法についてもプレゼンした。さらに、少人数でのグループトークで大いに盛り上がった。

(イ) ワークショップの進め方

ワークショップでは、早い段階から、①ヒアリング等による課題(現実に小高の誰かに生じている困りごと)の抽出→②それに対する現行施策とその課題(限界)の調査→③解決の方向性の決定→④先進事例の調査→⑤提言案(仮説)の設定→⑥仮説の検証(実現性や実効性等)というプロセスを早期から示した。その中で、例えば前期中間報告では③まで、後期に④~⑥を行うなど、半期、あるいは一年間のどの時期に何をするのかを明確するよう心掛けた。一方で課題や提言の内容を教員が直接に教えることは一切行わず、学生たちが自ら探し出すことを促した。

教員は、課題や提言案の論理性、提言案の具体性(5W2H)・実現性・実効性、あるいは総論と各論の整合や施策間の連携といった個別の内容では容赦のない指導は行ったが、火曜3~5限のワークショップの時間を超過することはほとんど(あっても1時間弱程度)なく、また自主ゼミへの参加もほとんど行わなかった。これは、学生たちが主体的に考えるため、また教員からの指導やWS メンバー間での議論・共有のための時間は貴重であるという意識づけのために行ったものである。これを踏まえ、学生たちは本当に自主的に課題を特定し、提言を考え、また優先順位をつけて効率的にWS を回していった。

また、早い段階から、最終報告会は市長の前で、また現地報告会は市役所職員とヒアリング先の住民・事業者の前で行うと決めてWS に臨んだ。すなわちこれは、現場に精通した政策のプロや、課題を抱えている張本人の前でプレゼンをすることを意味し、否応なく妥協を許さない成果が求められることを全員が自覚することになった。

(3) 成果

(ア) 最終報告書

最終報告書は、研究概要、はじめに、第1部総論、第2部大目標と分野の設定、第3部各論、そしておわりにから構成されている。以下、報告書に記載されている研究概要の一部を抜粋することで、報告書の説明に代える。

第一部「総論」においては、まず、我々の研究の背景・意義・目的、研究手法を示した。次に、国・県はどのような法制度のもと、復興の方針を定め取り組んできたのかについて示した。続いて、我々が提言先 とした福島県南相馬市の概要や復興のあゆみについて述べた後、提言先とした小高区に視点を当て、現状と課題を示した。

第二部「大目標と分野の設定」においては、WSD が検討した復興観及び、南相馬市の基本目標等を参考に、「選ばれる小高づくり」という大目標を設定し、その目標を達成するために「ひと」「くらし」「しごと」という3つの分野を設定し、小高区における政策提言の方向性を示した。

第三部「政策提言」においては、第一章の「ひと」分野の中で「外から来てもらう」「産みたいを産めるに」「今いるこどもを残す」の3つを方向性とし、合計5つの政策提言を行った。次に第二章の「くらし」分野では、「地域公共交通」「地域福祉」「太陽光パネル」の3つを重要課題とし、合計5つの政策提言を行った。最後に第三章「しごと」分野では、「製造業」「小売・サービス業」「新規事業」、そしてそこから導かれた「交流センター」の4つに対して合計7つの政策提言を行った。

なお、第3 部には、本報告書が「一つの研究」についての報告書であることを明確に示すパートとして、第4章が置かれている。同章では、各政策ダマがどのように「ひと」「くらし」「しごと」3分野の中目標の達成に寄与し、そして全体の大目標「選ばれる小高づくり」に寄与するか、さらには小高の人々それぞれに「復興」に寄与するかを説明する「政策の全体像」という節が置かれている。また、本研究が、小高の復興のみならず、原子力災害によって被害を受けた他の地域の復興に向けた取組や、その他の災害の被災地域や過疎化衰退が進む地域に起きうる課題に対しても解決に資する一定の示唆を与えるものであることを示す「将来への波及」という節も置かれている。

(イ) ワークショップを通じた能力育成

小高に通い、現地で悩みながらも頑張っている人々の姿を自分事化した学生たちは、WS 当初とは明らかに違う小高への思いを抱くことになった。恐らくこの小高への思いは、きっと卒業後も継続し、「小高」という言葉は長い年月が経った後も彼らの心を動かすであろう。

本ワークショップでは、徹底的な現地主義で小高の困りごとを自分事化することを促した。その後、その困りごとの根拠、それをなぜ行政が解決する必要があるのか、あるいはその施策がどの程度困りごとの解決につながるのか等、論理に論理を重ねた説明を求めた。その結果、一旦自分事化しその後で客観化するという思考方法、そして主観的にハートで考える力と、論理的に頭で考える力の両方を、学生たちは身に着けることができたと確信している。

また、学生たちはみな非常にモチベーションが高く、また一つのチームとしての意識も高かった。このようにチームで一つの目標に向かって困難な試練を乗り越え、市長のお言葉にあるように立派な成果を出したという経験は、将来の職務で必ずや役に立つであろう。このような力を身に着けた彼らは、きっと福島ないしは将来の災害からの復興、あるいは日本の未来を担う人材になってくれると信じている。

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